数日、新潟県に滞在しています。
全国の多くの一般寺院は秋から冬にかけて報恩講をおつとめしますが、雪国ではこの時期におつとめをするようです。
本日ご縁をいただいたお寺は、京都の研修でお世話になった先輩のお寺です。
たくさんの方がお参りくださり、賑々しく法要がおつとまりになりました。
新潟県は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が35歳ごろ42歳までの7年間滞在をしていたと伝えられていますので、さまざまな聖人ゆかりの地があります。
こちらは新潟県上越市五智国分にある海岸「居多ヶ浜(こたがはま)」です。居多浜とも書きます。
承元元年(1207)、親鸞聖人は承元の法難によって流罪となった時、この地に上陸したと伝えられています。
親鸞聖人と越後
哲学者・梅原猛さんは、著書『日本の霊性』の中で、親鸞聖人が「海」という言葉をよく使うことに注目し、北国の荒海を日夜見ながら宗教的霊性に目覚め、そして、この地で結ばれた恵信尼公に支えられつつ思索を深め、独自の教説を創出したのだろう、と述べています。
配流された「霊性の国」越後での七年間は親鸞の思想ひいては人となりを理解するうえできわめて重要な時間であったといえます。
親鸞聖人ゆかりの地を、じっくりと歩いてみてはいかがですか。(上越市)
居多ヶ浜には「見真堂」という八角形の建物があります。
堂内には親鸞聖人等身大(?)の座像が安置されています。大谷派の方々が管理しているようです。
居多ヶ浜記念堂が併設されています。
居多ヶ浜記念堂・見真堂
インドでお釈迦様によって説かれた仏教は、「人の済(すく)い」を本願にシルクロードを通って伝えられた。
それがある時、人の済いを忘れた仏教界によって「人の済い」を説いた念仏一門が弾圧された。そして善信(ぜんしん)は承元元年(1207)恩師法然上人と共に流罪となった。
法然上人は土佐の国、善信は還俗させられ藤井善信(ふじいよしざね)となって越後国国府に遠流となった。京都より歩いて来られ木浦より舟に乗り、この地居多ヶ浜に上陸された。
居多神社に参詣され「末遠く法を守らせ居多の神、弥陀と衆生のあらんかぎりは」の歌を詠んだ所、一面の葦が片葉になったという。この地で罪人としての生活を送りながら、田畑を耕す事によって民衆と共に歩み、初めて念仏が伝わった。生活の場での「民衆の念仏」がここに発祥したのである。この念仏は「御恩報謝の念仏」でもある。かくしてこの地がシルクロードの最終着点である。
藤井善信はここで自ら愚禿親鸞と名告って僧俗の別なく生きた。七年後親鸞聖人は関東目指して出発されていった。「人の済い」のために。かくしてこの地は出発点である。
親鸞聖人は「見真大師」と敬われている。その号によって八角堂を「見真堂」という。檜皮葺きの小さな門を「慧眼門」という。大無量寿経に出てくる「慧眼見真」である。この門をくぐって親鸞聖人に出会い、この門から出て悩みの世に出発しよう。(居多ヶ浜記念堂リーフレットより)
記念堂内の正面には六字名号・親鸞聖人御影・恵信尼公御影が掛けられています。