仏教誕生の地であるインドにおいてなぜ「大乗仏説 vs 大乗非仏説」の論争が起こったのでしょうか。まずその背景を確認いたしましょう。
お釈迦さまはいまから約2500年前の紀元前4世紀ごろに80歳のご生涯を閉じられました。そのときには経典(仏典)は存在していませんでした。
伝承によれば釈尊の教えは仏滅後ほどなく集まった500人の弟子たちによって保存されたといいます。この仏典編集会議である「結集(けつじゅう)」では釈尊の説かれた教理(法)と教団の生活規則(律)が確定されました。「法」は後に「経」と称されます。
こうした経典のことを原始経典(もしくは初期経典)といいます。原始経典はパーリ語の五部(ニカーヤ)や漢訳の四阿含(しあごん)などとして現在に伝えられていますが、当初は口頭で伝えられていました。
仏教教団はアショーカ王の時代(紀元前3世紀)前後に根本分裂を起こし、最終的には18~20ほどの部派にわかれます。それとともに「経」と「律」は部派ごとに伝承されることになります。また諸部派では教理・解釈した「論」(阿毘達磨|あびだつま)が編纂されました。
西暦紀元前後に大乗が興(おこ)ると、後に大乗経典という「経」が新たに世にもたらされます。
大乗の経説には従来の伝統教説を継承発展させた面がある一方で、それからの飛躍ないし批判が認められます。
特に『般若経』の空の教えに対しては、部派仏教の立場から「仏説ではない」との強い批判が起こりました。批判はやがて大乗全体に対するものとなります。
一方、大乗側は「大乗は仏説である」という主張を繰り返して行ったのでした。
〈参考『季刊せいてん no.120』「仏説」とは何か─古代インドの大乗仏説論に学ぶ(藤田 祥道)〉