いま・ここ・わたし

浄土真宗の救いは「○○ができたら救われる」「○○になったら助かる」というような「いつか」「どこか」の未来に成立する救いではありません。
阿弥陀如来という仏さまが「いま」「ここ」の私の元へ「南無阿弥陀仏」の名前(言葉)となって至り届き、私の人生に「なんまんだぶ」のお念仏の声の仏さまとなって響いてご一緒くださる……このことひとつをお聞かせにあずかる「いま」「ここ」に救いが定まるのです。

あるところに小学生の男の子の兄弟がいました。父親の書斎に入ったふたりは、机の上にあった紙に落書きをして遊んでいました。

「こらっ! お前たち、何をしているんだ!」

父親は息子たちが大事な書類を台無しにしていることに気付いて大激怒。ふたりの腕を掴んで庭の物置の前までやってきます。

「この中で反省しなさい!」

父親はイタズラをしたふたりを懲らしめるために、狭い物置の中にふたりを入れると「ガチャリ」と鍵を閉めて立ち去ってしまいました。

真っ暗闇で狭い物置の中、いつ出られるのかもわからない。閉じ込められたふたりを不安が襲います。

「……お兄ちゃんが悪いんだ。お父さんの部屋に勝手に入ったりするから」

「なんだと!お前だって楽しそうにしていたじゃないか!」

時間が経つに連れて口論が始まり、いまにも取っ組み合いが始まりそうな不穏な空気が漂います。

しかし次の瞬間、外から「コンコン」とノックの音がしました。

「お母さんよ。あなたたち、大丈夫? いま鍵を取ってきてそこから出してあげるから安心してね」

 外からの母親の声を聞いてふたりはホッとします。

「よかったね、お兄ちゃん。お母さんが出してくれるって」

「うん。外に出たらお父さんに一緒に謝りに行こうね」

先ほどまでの険悪なムードがウソのように、物置の中には和やかな空気が流れていました。

そのときは、母親の「大丈夫よ。安心してね」の声を聞いたときに、真っ暗闇で狭い物置の中という環境は変わりませんが、ふたりの心は大きく変化していたのでした。

自分では気づけないかもしれませんが、私たちが生きる世界は仏さまのまなざしから見ると真っ暗闇の迷いの世界です。知らず知らずに人を傷つけ、自分も傷つきながら、誰もが悲しみや孤独を抱えていかなければなりません。

しかし阿弥陀如来という仏さまは、その私に対しておっしゃいます。「大丈夫ですよ。あなたを救う仏が、いまあなたの元に南無阿弥陀仏のお念仏となって届いていますよ。安心してくださいね」。

私たちはこの仏さまの仰せをいまここの我が身にいただいていくとき、迷いの環境は変わりませんが、心の中に大きな安心が生まれ、生きる意味と目的が大きく変化していくのです。

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2025年07月22日