二河白道の譬え

法話をする時には、仏教の教えの内容を他の物事によって表現した「譬え話」を用いることがよくあります。


これによって私たちは教えの意味を容易に理解したり、身近に感じたりすることができます。


この手法は仏教の歴史において古くから用いられてきました。仏教の開祖であるお釈迦さまはもちろんのこと、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人や、聖人が尊敬した曇鸞大師(どんらんだいし)や善導大師(ぜんどうだいし)といった祖師たちも巧みな譬喩の使い手です。


今回は、浄土教において最も有名な「二河白道(にがびゃくどう)の譬え(二河譬|にがひ)」を紹介します。


人影ひとつなく果てしなく続く荒野(①)を、西に向かう旅人(②)がいました。


その旅人の前に、いきなり南北にふたつの河が立ちはだかります。南には火の河(③)、北には水の河(④)が伸びています。それぞれ底なしの深さをもち、どこにもほとりがありませんでした。


しかしよく見ると、ふたつの河の真ん中に、幅がわずか4~5寸(10数cm)ほどで長さが100歩くらいの白い道(⑤⑥)が東の岸(⑦)から西の岸(⑧)に向かって真っ直ぐと続いています。
水の河はその道に激しく波を打ち寄せ、火の河は炎をあげて道を焼いています。水と火がかわるがわるに道を襲って少しも止まることはありません。(⑨)


ふと旅人が背後を見ると、旅人を殺さんと襲いかかろうとする盗賊(⑩)や悪獣(⑪)が迫っていました。恐怖におののく旅人。


「目の前には、どうやっても渡れそうにない細い白い道。背後には盗賊や悪獣。このまま止まっていても、引き返しても、そして前に進んでも死んでしまう」

絶体絶命の状態で決意します。

「どの方向へ向かっても死を免れることはできない。それならば、この目の前の白い道を進んでみよう」

そのとき、


「その道を進んで行きなさい。絶対に死ぬことはありませんから」

と、白い道を歩んでいくことを勧める声が東の岸から聞こえてきました。(⑫)


それと同時に、水と火のふたつの河を越えた西の岸から、

「汝よ、一心にためらいなく真っ直ぐとこちらに来なさい。私は必ずあなたを護ります」

と、招き喚ぶ声が聞こえてきました。(⑬)


それらの声に身をまかせた旅人は、荒波と火炎に覆われている細く長く白い道を進みました。(⑭)


「おい、戻ってこい!その道は危険だぞ!とても向こうの岸までは行くことができない!間違いなく死んでしまうぞ!俺たちは別にお前を殺そうとしているわけじゃないぞ!」

途中、背後の群賊・悪獣が大きな声をあげて誘惑してきます。(⑮)


それでも旅人はその声を聞いて振り返ることも惑わされることもなく、わき目もふらずにその道を信じて白い道を進むと、まもなく西の岸へたどりつきました。
そこでは永久にさまざまな災いを離れ、善き友と会って、喜びも楽しみも尽きることがありませんでした。(⑯)【完】


この話に登場するものは、それぞれが次のことを譬えています。

①人影ひとつなく果てしなく続く荒野 → いつも世俗に振り回されて、自分を真実に導き入れる善知識に遇わないこと

②旅人 → 迷いの世界に生きる私のこと


③火の河 → 瞋憎(しんぞう)。人間の持つ怒りや憎しみの煩悩


④水の河 → 貪愛(とんあい)。人間の持つ貪りや愛着の煩悩


⑤白い道 → 阿弥陀仏の本願力と信心。ふたつの意味を持つのは、阿弥陀仏が生死(しょうじ)の世界(迷いの世界)を生きる私を救うために完成された本願力が私に至り届いて信心となるため

⑥長さが100歩分 → 念仏者の一生のこと。原文に「水と火の河も100歩分の長さ」とあるのは、煩悩が死ぬまで消えないことを表している

⑦東の岸 → 私たちが生きている迷いの娑婆世界

⑧西の岸 → 煩悩の穢れを離れた阿弥陀仏の西方極楽世界

⑨河の様子 → 4~5寸と狭い白道を広大な水火二河が激しく襲うのは、私の煩悩のすさまじさを表現している。それでも途切れることなく西へ続いているのは、開け発(おこ)った他力の信心が最初の時から西方浄土に往生するまで絶えず続くことを教えている


⑩盗賊 → 別解・別業・別見。念仏の教えを否定する聖道門や、自力で浄土に往生しようとする人たち。自力心の象徴

⑪悪獣 → 六根・六識・六塵・五陰・四大。衆生の感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)、それら器官による認識作用(六識)と認識作用(六塵)、人間を構成する五種の要因(五陰)、そして一切の物質を構成する四元素(四大)の象徴。迷いの世界から離れることができない私の心身のありようそのもの


⑫東岸からの声 → 釈迦の教法。東岸からの「この道を行け」と勧める声(発遣)は、釈尊が説かれた本願念仏の教えの象徴。声だけが聞こえて姿がないのは、釈尊が入滅して後の世の人たちはお釈迦さまに会うことができないが、残された教え(声)を聞いて浄土へ往生していくことを表している


⑬西岸からの声 → 弥陀の本願。西方浄土から阿弥陀仏が「あなたをかならず救う。まかせなさい」と喚び続けている(招喚)本願。両岸の声は、いずれも「白道を進み、西岸へ至れ」と勧めている。阿弥陀仏と釈尊の二尊がともに本願念仏の救いを説いていることを表している


⑭白道を進む → 自力の行をすべて振り捨てて、浄土へ向かって念仏生活を営む様子


⑮誘惑の声 → 念仏ではない道を歩む人々が「念仏なんかで救われるわけがない」と説くこと


⑯西の岸に着く → この世のいのちを終えて浄土に往生し、仏とお会いして慶びが極まりない様子


煩悩に惑わされる私が、阿弥陀さまとお釈迦さまの導きによって救われていく仏道を、水と火の河の中間に伸びた一筋の白い道を渡る旅人によって表されています。


この譬喩は、法然聖人(ほうねんしょうにん)によって『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』に引用され、聖人の門弟たちはその註釈に力を注がれました。


親鸞聖人も、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』をはじめ、多くの著作に引用・註釈され、本願のはたらきと真実信心を示す譬えとして大切にされています。


また、文字による註釈だけでなく、絵画としても多く描かれました。
善導大師のおられた中国では二河譬が描かれた記録はありませんが、13世紀頃から日本で絵画化されはじめたといいます。
後世にはお説教の主題としてこの譬えが多く用いられ、現代でも二河譬に魅力を感じる人は多いでしょう。


譬喩は、あくまでも譬えた事柄そのものを表すものではありません。
しかし、二河譬の本文には「なんぢ一心に正念にしてただちに来たれ、われよくなんぢを護(まも)らん[汝一心正念来我能護汝]」という言葉があるように、阿弥陀さまの本願のこころがそのまま表されています。

〈参考『季刊せいてん no.103』本願寺出版社〉

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2018年01月14日