阿弥陀如来という仏さまは「こうありなさい」と生き方を告げない“無条件の救い”によって、衆生に居場所を与えます。
裏を返せば、人間同士は「こうありなさい」と生き方を告げ合うことで居場所を奪い合うのでしょう。
築地本願寺新報には「Youは何しに築地本願寺へ」という記事があります。
外国人観光客へのインタビュー記事です。
その記事でのやりとりのひとつに、次のようなものがありました。
「日本(人)のイメージとは?」
「真面目で、良心的で、働き者という感じです。
その意味でいえば、自殺率が高いことは深刻な問題だと思います」
日本の自殺率の高さは世界的に有名のようです。
以前に私も外国人から自殺について聞かれたことがあります。
学生時代にバックパッカーとしてタイ→マレーシア→シンガポールとマレー半島縦断をしていた時に、現地で仲良くなった日本人女性がいました。
彼女が日本にイギリス人の恋人を連れて遊びに来たときに、
「どうして日本の自殺率はこんなに高いんですか」
と聞かれ、社会や教育、宗教の問題などを交えて自分なりの見解を述べました。
どうやらイギリスは労働者の権利が守られているなどの理由から、自殺率がそこまで高くないそうです。
そんな話をしながら3人で電車に乗っていると、彼氏が興味深そうに「これは何て書いているの?」と指をさしたのは電車内の広告でした。
「これはダイエットの広告だよ」
「ふーん、じゃあこれは何?」
「AGA治療……薄毛の治療だと思うよ」
「こっちは?」
「結婚相談所の宣伝だよ」
「ふーん……なんか『痩せてなきゃダメだよ。髪が生えてなきゃ、結婚しなきゃダメだよ。みんなこうじゃなきゃダメだよ』って怒られてるみたいで息苦しいね。しかも、こんなにたくさん。
日本人の自殺率の高さの理由が少し分かった気がするよ」
消費を促すためには仕方がないとはいえ、言われてみれば確かに「もっとこうなりましょう」「こうでなければいけません」と「あなたが変わりなさい」を告げる内容が広告には多くあります。
「痩せていることは素晴らしいこと」「結婚するのは素晴らしいこと」といった固定的価値観を作り上げると、そこから排除されて居場所を奪われ、悲しさを抱える人が出てきます。
それがすぐに自殺に繋がるわけではないでしょうが、人によっては自尊心を削られて、生きる活力を失うことも十分にあり得るのかもしれません。
人間はお互いに「こうありなさい」「こうでなくてはいけません」と生き方や罪を告げ合うことで居場所を奪い合っています。
人の言葉によって居場所を奪われて傷ついた心は、人の言葉では決して救われません。
真実をさとった仏が語る言葉とは、私に本当の居場所を与えます。