今年も親鸞聖人のご誕生をお祝いする「降誕会」の季節となりました。
毎年、全国各地の寺院でさまざまな催しがなされ、明るい雰囲気に包まれます。
しかし、考えてみれば不思議なものです。
先立たれた方の「ご命日」は大切にされますが、先立たれた方の「お誕生日」を大切にするということがあるでしょうか。
2年後には「親鸞聖人ご誕生850年」をお迎えしますが、そんな昔の方の「お誕生日」をいまでもお祝いしているというのはどういうことでしょうか。
思うにそれは、親鸞聖人とは遠い過去に存在した「偉人」というより、「いま現に人びとの間に生きていらっしゃる」「阿弥陀如来とともに聖人もまた私のそばにいてくださっている」……多くの方が、どこかにそうした感覚をもっていらっしゃるからではないでしょうか。
それはつまりこの方の開かれたみ教えが、令和の現在も多くの方々のあいだに「生きた教え」としてあり続ける証左といえるのかもしれません。
これは実に驚くべきことであり、有り難いことです。
江戸時代の後期に親鸞聖人ご誕生の地、日野別堂(現・日野誕生院)で法要は営まれてはいましたが、当時はまだ誕生日を祝うという習慣はさほど一般的ではありませんでした。
本願寺で降誕会が初めて催されたのも比較的新しく明治(1874年)のことで、しばらく大々的には行われていませんでした。
1887(明治20)年に普通教校(現在の龍谷大学)で行われ、それから全国のお寺に広まりました。〈参考『築地本願寺新報』より〉