毎週、日曜日に法話を更新しています。
一口に法話といっても、浄土真宗的な法話と通仏教的な法話では、同じ仏教の話でも見せる表情が違うように感じます。
また、仏さまや真理に焦点を当てるか人間に焦点を当てるかでも色が変わってきます。
しかし、結論はほとんど決まっているといっていいでしょう。
仏さま……特に阿弥陀如来の話は
「阿弥陀如来は南無阿弥陀仏で愚かな私を救う。ともに参っていくお浄土がある」
という結論になります。
人間の話は、
「苦しみの原因は全て自分自身にある」
といったところでしょうか。
結論だけ言われてもよく分からないので、相手が受け取りやすいように紐解いていくのが仏教の論法だと聞いたことがあります。
浄土真宗本願寺派の布教使として演台に立つ時は、基本的に阿弥陀如来の話が中心です。
しかし、最終的に阿弥陀如来の救いを伝えるという意志があれば、色々な角度の入り口があってもいいと私は考えています。
そのため、普段の会話で何か聞かれたり、ホームページに載せるときは、違う切り口で話すこともあります。
法話を書いたあとは、地元の友達やお寺とは関係のない知り合いに読んでもらって感想を聞いたり、先輩僧侶に講評を仰いだりします。
厳しいことを言われることもあれば、嬉しいことも言われます。
自分の中での軸は決まっているので、そこはブレないのですが、
その軸となっているものを伝える手段に関しては、多くの示唆をいただいています。
たまに全く仏教を知らない人ならではのアドバイスをもらえることもあって、新しい発見をもらえます。
合掌