稱名寺の坊守(ぼうもり・住職の配偶者)の実家である無量寿寺へ立ち寄った折に、お寺のパンフレットをいただきました。
お寺の歴史や文化財について書かれているほか、無量寿寺にまつわる伝承が書かれています。
1220(承久2)年。このお寺の近くの地頭(土地の管理者)・刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう:裁判官)であった平高時という男の妻が19歳のときに難産で亡くなりました。母性に溢れて情に深かった女は、赤子の枕元に毎晩のように迷いのすがたを現すようになります。
変わり果てた女のすがたに村人たちは恐れをなし、高時の住んでいる近辺やその近くのお寺には誰も近寄らなくなってしまいました。
迷いから離れることのできない妻を不憫に思った高時や村人に懇願され、親鸞聖人と弟子の順信房はこのお寺に立ち寄ります。事情を聞いた聖人は、村人たちにたくさんの小石を集めさせ、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』というお経の言葉26612字をひとつの石に一文字ずつ書写して女のお墓へ埋めてお念仏を申しました。
すると、迷っていた女は菩薩のすがたへと変わり、阿弥陀仏に抱かれて清らかな浄土へ往生を遂げたのです。
〈参考「無量寿寺・女人成仏伝」〉
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が立ち寄ったお寺には、このような物語が多く伝えられています。
「いやいや、昔の人の作り話じゃないか」と思う人もいることでしょう。しかし、大切なのはこの話が何を指し示し、私たちに何を伝えているのかということです。
例えば、「ウサギとカメ」は実際にあったできごとではないかも知れません。ですが、その話のなかで語られる「ウサギのように実力があってもサボってはいけません」「カメのようにコツコツと頑張れば報われます」という道徳的事実に深く頷く人は多いのではないでしょうか。
理屈や理論ではなく、物語であるからこそ活き活きと輝き弘まる真実が仏教では多く説かれています。今回、紹介した無量寿寺の伝承もまた、死別を割り切れずに執着から離れることができない人間のすがたや、迷いのいのちが救われていく宗教的真実が根底にあるのです。
合掌