蓮と鶏

みなさんは数多ある本の中から、この本を手に取って下さった。その行為は、みなさんの意思によるものだろうか。それとも、環境から受けた刺激の帰結として、必然的にこの本を手に取ったのだろうか。つまり、この本を手にしたのは、みなさんの人生の中での必然だったのか。

現代の心理学、脳科学の知見によると、意思というものはただの錯覚に過ぎず、後者の説、すなわち環境からの刺激が必然的にこの本を手に取らせたと考える方が正しいようだ。

『脳は、なぜあなたをだますのか』という本の書き出しです。

人間には自由意志はなく、環境から受ける刺激に対して無意識のうちに機械的な反応を繰り返しているだけ。人の意思とは錯覚や幻想、まやかしに過ぎない──これが最先端の心理学や脳科学の見解だそうです。


仏教の唯識(ゆいしき)思想にも似たような考え方があります。心の中のすべては「他の力」によって生じることを「依他起性(えたきしょう)」といいます。


このことを分かりやすく示した金子みすゞさんの「蓮と鶏」という詩を紹介します。

泥のなかから蓮が咲く。

それをするのは蓮じゃない。

卵のなかから鶏が出る。

それをするのは鶏じゃない。

それに私は気がついた。

それも私のせいじゃない。

合掌

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2018年01月06日