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Q. なぜお香を焚くのですか?
A. お仏壇やお寺の本堂、お墓参りでお焼香やお線香を焚くのは、仏さまや亡き方へ「香りをお供えする(供香:ぐこう)」という意味があります。
元々は、薫じたり身体に塗ったりすることで、悪臭を取除いて芳香を生活に中に漂わす、インド古来の習俗に由来すると言われています。お釈迦さまの時代から、お香は仏さまに供養するために大切にされてきました。
当時は貴重であったお香をお供えすることで、敬いを表していたともいわれています。
浄土真宗では、お供えしたものは参拝者もお下がりをいただく習慣があります。つまり、お香をお供えしたら、お供えした人も仏さまから香りを頂戴します。
そこにどんな意味があるのかといえば、特に明確な正解はありません。私が聞いたことあるのは、
①芳しい香りを通じて、仏さまの世界である清らかなお浄土を味わう
②誰にでも分け隔てなく届く香りを通じて、誰の元にでも平等に届いていく仏さまの慈しみ(慈悲)のお心に触れていく
③煙で身を清めてお参りをする
④良い香りに包まれて、心安らかに手を合わす
などなど。
親鸞聖人も、阿弥陀如来の智慧の香りと光によって、お念仏を申す人の人生が美しく飾られていくことを「香光荘厳(こうこうしょうごん)」とおっしゃっています。
他にもお香の漂う場所にいれば知らず識らずのうちに香りが身についていくことに例えて、仏さまに育てられて智慧の香りに染まった人を「染香人(ぜんこうにん)」と表現されています。
たまに、「線香の香りは死者の食べ物」「通夜の一晩や四十九日の間はお香を絶やすと死者が迷う」という話を聞きます。考え方は人それぞれですが、生きてる間はお香がなくても生活に支障がないのに、なんで死んだ途端にそんな重要になるんだろうか……と、疑問に思ったりもします。
あと昔はお香を絶えず焚くことで、防虫や消臭といった実用性も兼ねていた、という話も本で読んだことがあります。
お線香やお焼香の香りを通じて仏さまや亡き方へ思いを馳せつつ、そのはたらきを味わわせていただき、心静かにお参りさせていただきましょう。
Q. お線香は立てるの?寝かせるの?
A. 浄土宗や日蓮宗など、お線香を立ててお供えする宗派が一般的には多いようです。
浄土真宗では香炉の大きさに合わせて、適当な長さに折ってから火を付け、必ず橫にしてお供えします。
本数に決まりはありませんが、1~3本程度がよいでしょう。香炉が大きい場合は折らずにお供えをすることもあります。
お線香は、お焼香に使う抹香の香りを長持ちさせるために考案されたものです。元々は竹の棒に粉末状のお香を塗っていたともいわれています。
浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺では、香炉の灰に線上にくぼみを作り、その中に抹香を詰め、端に火を付けて開門から閉門まで香りを絶やさないようにされています。
お線香は、これに倣ったものであるため、橫にしてお供えするのです。
またお線香を立てると、灰が落ちて周りが汚れたり、倒れて火災になる恐れもあります。そう考えると、橫に寝かせてお供えをするのは、とても清潔かつ安全で合理的であるといえるでしょう。
Q. お焼香の作法は?
A. お焼香の作法は宗派によってそれぞれ違います。そのため、テレビや本やネットに書いてある「全ての宗派に通用する正しい焼香の作法」というのは存在しません。
つまり、自分の宗教やご家庭の宗派というのがあれば、その宗派の作法でお焼香をするのが正解ということになります。
浄土真宗本願寺派でのお焼香の作法は以下の通りです。
①焼香卓の手前で立ち止まって揖拝(ゆうはい:一礼)し、左足から卓の前に進みます。
②右手で香盒(こうごう:香を入れる器)のふたをとり、香盒の右側の縁に掛け、
③右手で香を一回だけつまみ、いただかずにそのまま香炉に入れます。
④香盒のふたを元通りに閉じ、
⑤合掌して「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ/なんまんだぶ)」とお念仏をとなえてから礼拝し、
⑥右足から後退し立ち止まって揖拝(一礼)し、退きます。
よく聞く「額に押しいただく」「2~3回と香を入れる」という作法ではないため、違和感を覚える方もいらっしゃるかも知れませんが、以上が正式な作法です。
「私は浄土真宗です」という方は、曹洞宗や日蓮宗など他の宗派のお寺・お葬式でお焼香する時も、この作法が正解となりますので、ご参考ください。
「自分は無宗教です」「家の宗派は知ってても作法は知らない」という方も、ひとまずこの作法でお参りすれば特に問題ありません。
そもそも、別に作法を守らなけれ問題があるかというとそんなこともないです。それぞれが故人を偲び、仏さまへ礼拝するきっかけとなれば、あまり形にこだわらなくてもいいとも思います。
どうして額に押しいただかないの?
額に押しいただくという行為の理由には、諸説があるようです。
①自分の念を込めるため
額に押しいただくことで「自分の念を込めてお供えする」という意味をもつようです。故人を偲ぶ気持ちは大切にしていただきたいのですが、「私の込めた念が役に立つ」という考えは少し傲慢のようにも感じます。あくまでお供え物なので、謙虚な姿勢でお参りさせていただくことも美しいのではないでしょうか。
②抹香を借りるため
お焼香する時に用いる刻まれたお香を「抹香(まっこう)」といいます。元々は、参拝者が自分の好みの抹香を用意して、焼香するのが正式な作法です。
では、自分の抹香を持っていない人はどうするかというと、備え付けの抹香を借りてお焼香をします。この時の「抹香をお借りしますよ」を表す行為が、額に押しいただく作法であるという話を京都の西本願寺で先生から聞きました。
「じゃあ現代人はほとんどお寺に備え付けの抹香でお参りするのだから、額に押しいただくのが正解なのでは?」と気になって質問をしてみたところ、「自分の抹香を持って行くのが正式な作法であるから、そちらに統一されています」と返答がありました。
③お香を丁重に扱うため
お経の本を開くときには、お経の本を額に押しいただくという作法があります。これはお釈迦さまや親鸞聖人が私たちにお示しくださった言葉を丁寧に扱う敬いの作法であります。
同じようにお香も丁寧に額に押しいただて扱うのだと聞いたことがあります。なんでも大切に用いるのは良いことだと思いますが、お香は人間側から仏さまへ差し向けられるものなので、少し扱いが違うようにも感じます。
以上のように、作法というのは人間が考えたものであり、人によってとらえ方や意味合いは異なり、時代とともに形も変化していくものです。こだわりたい方はこだわればいいでしょうし、こだわりたくない方はこだわらなければいいというのが本当のところではないでしょうか。
どうして1回なの?
どうして浄土真宗では1回しかお焼香をしないかというと、実際のところ「そういう風に昔の人が決めたから」としか答えようがありません。
「浄土真宗は阿弥陀如来一仏の宗派だから1回なのだ」と説明する方に会ったことがありますが、浄土真宗大谷派でお焼香は2回しますので、信憑性は薄いように思います。
お釈迦さまが説かれたお経の中や、宗祖 親鸞聖人のお書物の中で「お焼香は1回だけ!」と書いてあれば分かりやすいのですが、そうした記述も見られません。
日蓮宗では導師のみ、3回お焼香をします。そこには「①悪魔を払うと念じ、②仏祖の影現(ようげん)を念じ、③諸天善神の擁護を念ず」という意味や、「仏・法・僧の三宝に供養する」という意味や、「貪欲(とんよく:貪り)・瞋恚(しんに:怒り)・愚痴(ぐち:愚かさ)の三毒の煩悩焼き浄める」という意味があるようです。なんだか有り難い理由です。
浄土真宗でも大きな法要では、導師が2回お焼香します。その理由を西本願寺の先生に聞いてみたら、「ちゃんとお香が焚けるよう、念のために2回やるんだよ」と、あまり有り難くない答えが返ってきました。
いろいろと書いてきましたが、ハッキリとした教義上の理由はありません。1回でも3回でも10回でも構わないといえば構わないのかも知れません。
しかし、1回だけにすることでたくさんの方がお参りすることができたり、抹香の減りも抑えられてとてもエコというメリットもあるので、特にこだわりがなければ1回でいいのではないかと個人的には考えています。