視点が変わること

人生において視点が変わることで、辛いことが一瞬にして有難いことに変わることもあります。仏教の教えとは、病気が治ったり、急にお金が入ったりしていいことが起こる、という教えではありません。教えを聞くことで視点が変わり、今までの愚痴や怒りが、感謝や反省に変わっていくことが仏教の教えの特徴の一つです。

お世話になっている先生から、このようなお話を聞かせていただいたことがあります。

あるサラリーマンの方のお話です。その日、彼は会社の仕事で取引先までバスに乗って向かうことにしました。乗車したバスはあいにく満員で、ぎゅうぎゅう詰めです。


すごい熱気で、最悪の状態。そのうえ、バスの奥の方で赤ちゃんが大きな声で泣いている。

「(やれやれ、なんでこんなバスに乗ってしまったのか・・・)」

自分の運の悪さを嘆くばかりでありました。

そうこうしていると、赤ちゃんの泣き声がさらに大きくなっていきます。不快感も限界まで達しようとしていたとき、赤ちゃんの泣き声がバスの降車口の方へと移ります。赤ちゃんを抱いたお母さんがバスを降りようと席を立ったのです。

「(よかった、これでやっと騒音からは解放される)」

バス停でお母さんがバスから降りようとしたそのとき、運転手さんがお母さんに声をかけました。

「奥さん、どちらまで行かれるんですか」

「大学病院までです」

「大学病院の最寄りの停留所はここから三つ先ですよ」

「はい。でも、この子が泣き止まず、皆さんにご迷惑をお掛けしてしまうので、ここで降りて歩いて行こうと思います」

「赤ちゃん、何か病気ですか?」

「はい。熱があって。風邪をひいたのかも知れません。ほかの乗客の皆さんには本当にご迷惑をお掛けしました」

お母さんがそう言って、改めてバスから降りようとした瞬間、運転手さんがマイクを通して呼びかけます。

「ここに風邪をひいて熱のある赤ちゃんとそのお母さんがいらっしゃいます。皆さまにご迷惑をお掛けしないようにと、ここから三つ先の停留所まで歩いて行かれるそうです。みなさん、ここはひとつご協力をいただけませんでしょうか」

一瞬、乗客はシーンとなったそうです。その後、何人かの人が拍手をしました。その拍手はバス全体に広がり、大きな拍手となりました。お母さんは赤ちゃんを抱いたまま、何度も頭を下げて涙を流します。そのすがたを見ていたサラリーマンの彼も目頭が熱くなりました。同時に、「自分は素晴らしいバスに乗れてよかった」そんな風にも思ったそうです。

その後は、人の熱気を感じても赤ちゃんが泣いても、気にならない。むしろ、有難くさえ感じたそうです。

このバスの運転手さんがおっしゃったことが仏教の教えの役割を果たしています。真実を知らしめて、私たちの視点を転換せしめるのです。

バスに乗っていた人たちは不快感でイライラしていたことでしょう。そのときに、運転手さんの言葉によって視点が変わりました。怒りの心が赤ちゃんの身を案じる思いに変わっていったのです。みんながほかの人のことを想う心はとてもあたたかい雰囲気を作ります。バスがぎゅうぎゅう詰めで、赤ちゃんが泣いているという状況そのものは変わりませんが、その場にいる人のこころが大きく転じられ、雰囲気も変わっていったのです。

家庭や職場で、とてもつらい環境にあっても、視点が変わることによって相手に「ありがとう」と感謝する心も起こります。お寺の本堂や、お家のお仏壇で、仏さまの前で手を合わせるというのは、そのことを改めて考えさせられる場所や時間です。忙しい日々の暮らしのなかで「俺が」「私が」の「我」を見つめ直し、「おかげさま」と視点を変えていける場所や時間を大事にしていきたいものです。

〈参考『赤光』より〉

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2017年01月15日