鏡の謎


「鏡に映ったの自分のすがたを見ると、左右反対に映ります。

では、左右が反対に映るのに、上下が反対に映らないのは何故でしょう?」

以前、内藤昭文和上(わじょう:学位の高い学僧)のお話を聞いていたときに出た問題です。

皆さんならどう答えますか?

私は分からなくて黙っていました。

「正解は……そもそも鏡は左右反対に映っていません」


答えを聞いて、さらに頭が混乱します。

「鏡をよくご覧ください。自分の右方向にあるものは右に、左方向にあるものは左に映ってます。“左右反対に映っている”と考えるのは、自分を中心に見ているからです。

鏡自体は左右反対ではなく、右のものは右、左のものは左と、ありのままを映しています。

左右反対に映っていないのですから、上下反対に映らないのは当たり前のことです」

(自分で最初に左右反対って言ったくせに……)と心の中で負け惜しみを言いつつ、続きに耳を傾けます。

「この問題は、二つのことを私たちに教えてくれます。

ひとつは“自分がいかに先入観でものごとを見ているか”

もうひとつは“自分がいかに自己中心的常識のうえに立ってものを見ているか”

最初に左右反対を受け入れた人は、答えまで辿り着けません。
先入観は私たちから真実を見る目を奪っていくことが分かります。

さらに私たちが普段から持っている先入観や常識は、知らず識らずのうちに、すべて自分にとって都合の良い自己中心的なものへと仕上がっていくことも分かります。

自らを否定することは難しいから、自分の先入観や常識に疑問を持つこともまた難しい。

自分が作った枠組みのなかに執われて生きているのが、私の日頃のすがたです。


仏教では、こうした先入観や常識を打ち破って超えていく「ありのままの世界」が説かれます。

あるがままの真実を「如実(にょじつ)」といい、仏さまの悟りの智慧を「如実知見(にょじつちけん)」といいます。

私たちの苦しみの原因は、あるがままに世界を見ることができない“煩悩”にあると見抜かれたのがお釈迦さまです。

この煩悩を断つことで、苦しみはなくなって救われるとお釈迦さまは教えてくださいました。

同時に、煩悩から離れることができない人には、「煩悩が障りとならない救い」を説いてくださっています。

修行を積んで煩悩を打ち破る人にも、社会生活を営んで煩悩から逃げられない私にも救いの道が説かれているのは、仏教ならではの懐の広さではないでしょうか。

法話一覧

2017年03月12日