「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
2014年11月10日に83歳で亡くなられた高倉健さんの辞世の句といわれます。
実はこの言葉の出処はお経のなか、しかも浄土真宗でよく用いられるおつとめに書かれています。
仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔
(けりょうしんし しょくどくちゅう がぎょうしょうじん にんじゅうふけ)
たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ
(たとえどんな苦難に身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない)
「讃仏偈(さんぶつげ)」と呼ばれるおつとめの最後の部分です。「毒のなかであっても、耐え忍んで後悔しない」とありますが、実はお経のなかでは“私が”そのように頑張るという意味では説かれていません。
“仏さまが”衆生を救うために命がけで努めると決意表明をされている部分なのです。
ありがたいなぁ……と思えるのは、浄土真宗に慣れ親しんだ方だけでしょう。普通はそんな話を聞いてもよく分かりません。
なぜなら、私たちが誰かのためにいのちがけになるなんて、口では言えても実行することは不可能だからです。
「写真を見た時に自分の顔から探してしまうのはなぜか?それは自分にとって、もっとも可愛いのは自分だからだ。煩悩を持つ人間ならではのすがたである」というお説教を聞いたことがあります。自分が可愛いからこそ、誰かのために傷つくことやいのちを削ることなんてできません。
そのため、どこかの誰かが自分のために──仏さまが自分のためにいのちがけなんて馴染みの薄い話を聞いたところでよく分かりませんし、受け止めることもできないのです。
しかし、人間の世界にもある対象のためにいのちがけになるすがたが、ほんの少しだけ垣間見られるときがあります。
現在の1,000円札には、明治から昭和にかけて細菌学者として活躍した野口英世の肖像が印刷されています。今回はその母親である野口シカを紹介します。
シカは両親が家出をして祖母に育てられますが、その祖母もシカが10歳のときに亡くなってしまいます。孤独な人生を送ることになったシカですが、19歳のときに縁があって結婚。2人の子どもを授かりました。女の子と男の子との姉弟で、弟の清作が後の野口英世です。
1878年4月、ハイハイをしてた1歳半の清作が囲炉裏に転げ落ちる事件が起こりました。畑仕事から戻ったシカは驚きます。左手が焼きただれて泣き叫ぶ清作を抱きしめることしかできませんでした。
昼夜を問わず看病に努めたこともあり、やけどは治りました。しかし、お金がなくて医者に見てもらえなかったため、清作の左手は指がくっついてしまい、鍬をはじめとした農具を持つことができなくなってしまうのです。
「清作の手では畑仕事は無理だ。ちゃんと学校に行ければ他の自分の道を見つけることもできるが、学校に行かせるには莫大なお金がかかる……」
責任を感じたシカは、百姓になることができない清作が学問で身を立てられるようにと、それまでにも増して必死に働きます。
昼は畑仕事をし、夜は子供たちを寝かしつけた後に近くの川や湖(猪苗代湖)でエビや雑魚などをとり、翌朝それを売りに歩きました。
この時、シカは近所の人々が収穫したものや工芸品など重い荷物を預かって背負い、会津若松市内まで届けたといいます。
さらにその帰りにはみんなに頼まれた買い物をし、それをまた自分の村まで歩いて運ぶことで収入を得ていました。その距離は片道30キロメートル。重い荷物を背負いながら、女性がひとりで歩くなんて考えられません。
当時は、小学校といっても全員が通えるわけではありませんでした。ましてや福島県の片田舎で小学校に行くのは裕福な家庭の子だけ。その小学校には貧しい家庭の子供は清作ひとりかいなかったといいます。
清作は学校でやけどの跡をからかわれていじめられる日々が続くと、ぶらぶらとサボることが多くなりました。ある日、そのすがたをシカに見つかり、こっぴどく叱れると思いきや……
「清作や、許しておくれ。あなたの火傷はすべて母さんの責任なんだ。悲しいだろう、辛いだろう、本当にすまない」
なぜ清作が学校に行きたがらないのか、よくよく分かっていたシカは涙を流して謝るばかりでした。
自分のために働き詰めでボロボロになって泣く母親のすがたを見た清作の心は大きく動かされます。以降、清作は単に学校に行くだけではなく、猛勉強を始めます。
そしてシカもまた、清作が高等小学校を卒業するまでの10年間、寝る間も惜しんでひたすら働き続けました。
その後の清作……野口英世の活躍は、黄熱病や梅毒の研究など皆さんご存知の通りです。
野口英世は、晩年になって「今になって私の人生を振り返ると、このやけどが悪かったのか、それとも良かったのかは分かりません。しかし、このやけどがあったからこそ、今の私があるのです」と語ったといいます。
〈新藤兼人『ノグチの母 野口英世物語』〉
以上はあくまでも仏さまの話をするための例え話です。しかし、野口英世のために惜しみなくその身をすり減らす母親・シカのすがたには、「人のために損をするなんてバカげている」という社会常識を大きく超えた世界を少しだけ感じることができるのではないでしょうか。
『仏説無量寿経』というお経には、私を救わんがために、「なんまんだぶ」と称えられる声の仏さまとなってくださった阿弥陀如来のご苦労の軌跡が綴られています。
この口から出てくる「なんまんだぶ」のお念仏の背景には、仏さまが救わねばならないとご覧になった私のすがたと、仏さまのいのちがけの修行があったといいます。
仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔
「どんな毒のなかに身を置いたとしても、私は決して後悔することなく、あなたを救う仏となるために精進していきます」
とおっしゃる仏さまの心について少し考えてみました。