阿弥陀如来という仏さまは私たちに罪を告げない仏さまです。何故なら、私たちの煩悩の深さを誰よりもご存知であり、罪を告げても意味がないことをご存知であるからです。
しかし、人間社会は違います。私たちは自分の正義を武器にして、相手を裁くことが大好きな生き物です。少しでも悪と判断できそうな人を見つければ、各方面からの総攻撃を仕掛けます。
裁かれる側はひとたまりもありません。どれだけ悪の自覚をもって反省しても、なかなか許してもらえない……。
仏さまと私たちでは罪に対する姿勢が違います。しかし、人間同士であっても、少しだけ仏さまに近いものを感じることがあります。
大学生時代にアルバイトをしていたコンビニであった話です。私が休んでいた時に万引き事件が発生したことを教えてもらいました。
防犯ビデオの映像を見せながら尋問しても捕まえた学生は黙り続けていたといいます。仕方がなく親を呼ぶことになりました。
やってきた母親はただひたすら謝るばかり。結局、その日は帰ってもらうことになりました。
店長は母親が子どもをちゃんと叱り飛ばす様子を見ようと帰り際の親子を見ていると、なんと母親が
「ごめんね。ちゃんとお小遣いやれなくて」
と語りかけていたそうです。
「何故もっとちゃんと叱らないんだ。親であればもっとキツく言うべきだろう」とその場に立ち会った上司が振り返ります。
私も話を聞きながら、「なんて無責任な親なのだ」と腹立たしささえ覚えました。
しかし、今になって思えば、万引きが見つかり、店員に厳しい言葉をぶつけられ、悪事を白昼のもとにさらされた学生にとって、それ以上の罰を与えて苦しめることに意味がないことを母親は知っていたのでしょう。
だからこそ裁くことしか選択肢のない私たちとは違い、母親はその罪を告げることは選ばなかったのです。
私たちは自分自身の煩悩や罪の深さを知りません。それ故に知らず知らずのうちに道を踏み外し、人を傷つけ、自分も傷つきながら悲しみや孤独に沈んでいく人生を歩んでいく……そのことを誰よりもご存知の阿弥陀如来であるから、
「あなたに変われと言うのではなく、私があなたを救う仏と変わりますよ」
と罪を告げず、生き方を示さず、「南無阿弥陀仏」と救いを告げる仏さまとなってくださったのです。