長崎県に竹下昭寿さんという人がいました。30歳の時に癌を発症。
もう治ることはないとが分かり、その日から日記を書き続けることにしました。
そうして書かれた日記は、後になって兄である竹下哲さんの手によって出版。
その本のなかに次のような一節があります。
人生は一応、50年の契約である。しかし、家主が不意に「出て行ってくれ」ということがある。
そのとき、田舎に自分の家がある者は「これまでお世話になりました。ありがとう」と言って出ていける。
竹下昭寿さんが生まれた時代の平均寿命は42歳であったそうです。長くても50歳といったところでしょうか。今の時代であれば「人生は一応、100年の契約である」となるのかも知れません。
私たちの人生というのは、借家住まいのようなものです。借家ですと、大家さんから突然「出て行ってくれ」と言われることもあるでしょう。
同じように私たちの人生における死もいつ訪れるかは分かりません。
田舎に帰る故郷を持っている人は借家から去るときに大家さんに「これまでお世話になりました。ありがとう」と実家に帰ることができます。
同じように人生を終えて生まれ往く浄土を持っている人は愚痴・不平を言うことがなく、遺した人びとにお礼を言って安心して往くことができるのではないか……竹下昭寿さんは死期を目の前にしてその心境を綴っています。
京都・大谷本廟の報恩講である「龍谷会」で松月博宣先生がこんなお話をしてくださいました。
皆さんは今日こうして法要に参拝してくださいました。家を出るときに、「龍谷会に行ってきます」「大谷本廟へお参りします」と行き先を告げましたか?
行き先を告げて家を出るということは大切なことです。
黙って出掛けると、それは家出になります。
さらに年配の方が黙って出掛けると「もしかして認知症が始まったのではないか」と徘徊の心配をされてしまうかも知れません。
しかし、今日は皆さん「お寺にお参りしてきます」と家族に告げてから出掛けることができたことと思われます。
では、どうして行き先を告げることができたのですか?
それは案内があったからですね。何も聞かされずに知らなければ、「今日はお寺の法要にお参りしよう」ということは考えもしなかったはずです。
そんな私のところに、お寺の方から「10月15日にお寺で法要がありますので、どうぞお越しください。しっかりと準備を整えてありますので、安心してお参りください」というご案内を届いていたからこそ、皆さん自身も「他の誰でもなく、私へのご案内であったな」と、自分のうえに頷いたことでしょう。
そうであるからこそ、このお寺の法要の存在を知って、お寺に行こうと決断して、行き先をお寺と告げて出掛けることができたのです。
行き先というのは、自分で作り出して決めるものではありません。招く方が教えてくれるのです。
私たちの人生の行き先も同じです。阿弥陀如来は「あなたのいのちは死んで終わりのいのちではなく、浄土に生まれて仏になるいのちと思ってくれ」と、私の人生の方向と生きることの意味を示してくださいました。
その願いの全てが「南無阿弥陀仏」と私の口に称えられる仏さまとなって、私のところに届き、そして今「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と出てくださるんです。
先ほど申し上げたとおり、皆さんは家を出るときに行き先を告げて出掛けることができたはずです。
何故、それができたのかといえば、ご案内があって、そのご案内をご案内の通りに受け取ったからです。そのとき、このご案内は他の誰かのためではなくて、私のためのご案内であったと身の上にいただいたはずです。
その瞬間から、皆さんの今日の行き先は既に決まっていました。
行き先が決まってから、今日になって出掛けるまで、この龍谷会という法要にお参りするべき日暮らしを送られたことでしょう。
いよいよ出掛けるときになって「お寺の法要に行ってきます」と行き先を告げてここに来ることができたのです。
さて、私たちにはもうひとつだけ出て行かなければならない家があります。それは、人生という家です。この家は、私の意思とは関係なく、否応なく追い出されます。人によっては、そんなに先のことではないかも知れません。
人生という家を出るときに、往き先を告げることができる身になるということ……それが私たちが「南無阿弥陀仏」という本願の名号を聞くということです。
先日、稱名寺のご門徒さんから私宛に1枚のCDが届きました。
手紙も同封されています。
秋も深まってまいりました。
いつもお母さまをはじめ、笑顔で接していただき元気が出ます。
1974(昭和49年)11月10日のお寺での報恩講法要に参詣させていただいた時に、私が録音しましたカセットテープを息子にお願いしてCD化しました。
先代のご住職のお声を聞くことができる思い、お送りさせていただきました。
先代の住職とは私の祖父にあたります。私が2歳のころに往生しました。
ですから、私はほとんど記憶にありません。もちろん、肉声も耳に残っていません。
ただ、お寺でおつとめをしていると「副住職には先代住職の面影を感じて懐かしく思います」「声や話し方が先代に似ていますね」とよく声をかけられます。
とはいえ、具体的にどんな話をしていたかとか、どのように浄土真宗の教えに聞いている人だったとかは知らなかったので、これも何かのご縁だろうとCDを聞いてみることにしました。
……段々と具合が悪くなってきて、もう先が見えてきた。やがては地獄に行かなきゃならん。
しかしね、今日は親鸞聖人の報恩講でしょ?親鸞聖人はお念仏を深く信じて、そのお念仏の力によってお浄土に行かさせていただくんだと。だから親鸞聖人はありがたいんだと。
親鸞聖人はこんなこともおっしゃっている。「もしね、私がね、お念仏を信じて地獄に行ったらば、仏教を教えてくださった一番肝心のお釈迦さま、そのお釈迦さまだって地獄に行ってるんだ。そればかりじゃなく、このお念仏を教えてくださいました法然聖人も地獄に行ってるんだ。だから、私のようなものは地獄に行ったって当たり前だ」。こうおっしゃっている。なかなかね、これほどのことを言えるのは親鸞聖人ならではですね。お師匠さんがみんな地獄に行くんだったら、私も行くんだって、これしかないんだ……って、そういうお言葉です。これはありがたい言葉です。
でも実際にはそんなことはないから、親鸞聖人はお念仏を皆さんにもお勧めくださったんでしょうね。
ですから、そのお念仏を私も慶ばさせていただく。お念仏を聞かせていただいてお浄土に往かせていただくんだから、そのお礼が今日の報恩講。親鸞聖人にお礼のおつとめでございます。
どうか、皆さん方も今日の報恩講にお参りさせていただきまして、親鸞聖人もいただいたご信心を賜りますこと、慶ばせていただきましょう。
個人的な第一印象として、まともなことを言っていたのに驚きました。
背広の上に袈裟を着たり、いきなり幼稚園を開設したりと、かなりアウトローな人であったと聞いていたので、しっかりと浄土真宗のご法義のお話をしていたとは知りませんでした。
それと同時にお念仏の教えを慶んでいた先代住職もお浄土へ無事に往ったのだと思うと、ホッとしたような、嬉しいような気持ちも生まれました。
死んで終わりとか、どこに行ったのか分からないというのは寂しいことです。
往き先を告げてもらえることのありがたさは、同時に私たちに往き先を教えてくださる阿弥陀如来のありがたさでもあります。