解脱幢相の霊服

親鸞聖人が第2代宗主の如信上人に物語られた他力真宗の肝要を、如信上人は覚如上人に伝えられました。
その言葉を筆録した『口伝鈔(くでんしょう)』には次のような挿話があります。


鎌倉幕府に招かれて親鸞聖人が一切経の校合作業に参加したときのことです。
慰労の宴の席でさまざまなご馳走が振る舞われました。


そこで聖人は、戒律を守る清僧のような態度をとることもなく、周りの人々と同じように過ごしていました。
魚や鳥といった肉類を召し上がり、お刺身が出された時でも袈裟を着けたままです。


それを見ていた9歳の開寿殿(かいじゅどの|後の北条時頼)が聖人に訊ねます。

「他の入道(在俗の仏教徒)たちは、どなたも魚を食べるときに袈裟を脱いで食べています。なのに、善信の御房(親鸞聖人)はどうして袈裟をお着けになったままでお食べになるのですか。不思議でなりません」


「あの入道がたは、いつもこのようなご馳走を召し上がっていて、魚を食べるときは袈裟を脱ぐべきであるとよくご存知でしょう。
しかし、私はこんなご馳走には滅多にお目にかかれません。驚いてしまって食べることに夢中になり、袈裟を脱ぐのを忘れてしまったんです」

「そのお答えは嘘でしょう。きっと深いお考えがあるはずです。私が子どもだから本当のことを教えてくれないんですね」


別の日のことです。前と同じように聖人が袈裟を着用したまま魚を食べていました。
それを見た開寿殿はまた理由を聞きました。しかし、聖人の答えは……


「また、すっかり忘れていました」

「いやいや、そんなに忘れてしまうはずがありません。きっと私が幼く愚かで、深い道理が分からないから教えてくれないんですね。
でも、どうしても気になるので善信房の意図をお述べください」

何度も答えを要求されたため、聖人も言い逃れができなくなり答えることにしました。


「思いがけず人としてのいのちを授かったにも関わらず、多くの生き物のいのちを奪い、その味に愛着して貪ることは決して許されません。
お釈迦さまが定めた戒律の中でも特に殺生は厳しき誡められています。しかし、お釈迦さまが入滅して時代を経た末法の時代に生きる私たちは、煩悩悪業に濁りきった生き方しかできません。無戒の時代とは、戒を持(たも)つどころか戒律そのものがないので、戒を破っている罪の意識さえないです。
こういうわけで、髪を剃り、袈裟を身に纏ってはいますが、心は世俗の人々と全く同じですから、こうして生き物の肉を食べています。
ただ、食べるのであれば、せめて私も食べられた生き物たちを苦しみから解放させるような食べ方をしたいものです。
とはいったものの、私は名前だけ世俗を離れてお釈迦さまの一族にしていただいたしるしの“釈”を名乗っていますが、心は煩悩の塵に染まり、生き物を導く智慧も徳もありません。どうしてかの生き物たちを救うことができるのでしょうか。
そこで、このように袈裟をつけたまま食べることにしています。なぜなら、袈裟は過去・現在・未来の三世にわたる一切の諸仏が、煩悩業苦(ぼんのうごっく)を解脱されたことを示す聖なる衣であり、さとりの道を歩む仏弟子であることを表す目印だからです。
これを着用しながら魚を食べれば、袈裟の持っている尊い功徳によって生き物を救い、利益を与えたいという念願を果たすことできるに違いありません。そのように考えて袈裟を着用したまま食事をしています。
私の所作をご覧くださっている仏・菩薩たちを仰いで、世間の人々の批評を問題にしない私の態度は不思議に見えるでしょう。
しかし、以上が私の考えていることです」


聖人の言葉を聞くと、開寿殿は幼少の身でありましたが、感動が顔に表れ、深くお喜びになりました。


原文では袈裟を「三世の諸仏〔の〕解脱幢相(げだつどうそう)の霊服(れいふく)と言い表しています。
中国の善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』「序分義(じょぶんぎ)」に

比丘の三衣はすなはちこれ三世の諸仏の幢相なり。

とあり、法然聖人のお手紙である『西方指南抄(さいほうしなんしょう)』にも、

解脱幢相のころもを肩にかけ、釈氏につらなりて

という言葉があります。袈裟は仏さまのさとりを表し、仏道修行者の目印となります。


『心地観経(しんじかんぎょう)』には袈裟に十種の功徳があると説かれ、


『地蔵十輪経(じぞうじゅうりんぎょう)』にも袈裟の功徳がさまざまに讃えられています。
その中で注目したいのは、破戒や無戒の修行者であっても、髪を剃って袈裟を身に纏ったものは、賢者や聖者と同じ見た目は同じなので、

彼を見るに因(よ)るがゆえに無量の有情、種々の善根みな生長することをえ、またよく無量の有情に善趣生天・涅槃の正路を開示す

とあります。そのため、持戒のお坊さんはもちろん、破戒・無戒のお坊さんであっても、国王は彼らに裁くことがあってはいけません。
なぜなら、牛や麝香鹿(じゃこうじか)が死後に牛黄(ごおう|生薬)や麝香(香料)を残して、人々を利益するようのものだからです──と説かれています。

親鸞聖人は『地蔵十論経』を『教行信証』「化身土文類」末に引用されています。
上記の文については、「化身土文類」本に引用されている伝教大師・最澄の『末法灯明記(まっぽうとうみょうき)』に引かれています。


ここで疑問がひとつ。どうして親鸞聖人以外は袈裟を外して食事をしていたのでしょうか。
そこには袈裟が神聖視されていたという背景があったようです。


対して、魚や鳥の肉は不浄の象徴でした。

肉を食べることで、神聖な袈裟が穢(けが)れてしまう……そんな畏れがあったことが考えられます。
ただ、この考え方には「いのち」を奪うことに対する罪の意識はありません。
神道で考えられてきた人間・動物の死と出産を穢れとする信仰や、そこに触れることで自分も汚染される触穢思想の影が見えます。いわゆる「物忌み」です。


親鸞聖人は殺生の罪に対する意識と、仏道による罪障の転換の信念がありました。


先に紹介した『心地観経』に説かれる袈裟の十種功徳の第七には、

袈裟はこれ浄衣(じょうえ)なり、長く煩悩を断じ、良田(りょうでん)となる

とあります。浄衣は自分や他者の煩悩罪濁(ぼんのうざいじょく)を浄化するはたらきを持つと考えられていました。


『口伝鈔』第6条には、「本尊や聖教は野山に捨てられても、それに触れる虫類に仏縁を結ぶ」とあります。


同じように、「三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服」は、触れた者ものに仏縁を結び浄化すると宗祖は受け止められていました。
物忌みに代表される通俗的な信仰形態とは大きく異なる立場が明らかにされています。〈参考・引用『聖典セミナー 口伝鈔』〉

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2018年02月18日