私のこと

『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀如来とその仏さまの世界である浄土について説き示されています。


娑婆世界には必ず存在する苦しみがまったくない極楽世界である。
宝石で彩られた木々や池、建物があり、素晴らしい音楽が流れていて、大地は黄金でできている。
綺麗な花が降りそそぎ、鳥たちが歌い、心地よい風が吹き……。


ところが、これらの教説は俯瞰して眺めると「こんな夢物語のような世界の話は私には関係ありません」と右から左へ聞き流されてしまいがちです。


お経に説かれている仏さまの言葉や世界は、「私と密接に関係していること」と聞くところに初めて輝きを持ちます。


京都に勉強へ行くため、務めていた会社を辞める直前の出来事です。


同期で食事をしていると、次年度に旅行をする話が立ち上がりました。

「北へ行こう」
「南がいいよ」
「美味しいご飯があるところがいいな」
「あの名所は外せないよね」

みんなはワイワイと盛り上がっていたのですが、旅行に行く頃に京都の僧侶学校で勉強をしている私には関係ありません。
退屈だな……と話を聞き流していたら、


「関係ないみたいな顔してるけど、君も来るんだよ」
「京都の学校はいつ休みなの?」
「関西からならここが行きやすいかな」

てっきり自分は数に入っていないものと考えてましたが、それは勘違いだったようです。


これはあくまで例話のための世間話です。
しかし、自分には関係のない話題であった「私が行かない旅行の話」は、参加側に回ればひとつひとつが自分の話となります。


お経に説かれている仏さまの言葉や世界も、「私の話」と聞くところに輝きが生まれます。


「人生が順調」「なんでも自分の力で乗り越えて行ける」と考えているうちは、「見捨てられない世界」「いのちの帰るところ」のような言葉は「私の話」として聞くことはできないかもしれません。

しかし、人生には必ず挫折や絶望があります。

そのときに支えとなるのは世間の言葉ではなく、「決してあなたを見捨てない仏さまがいらっしゃる」「その仏さまと一緒にあなたが参っていく世界がある」という私のいのちに重なり合って響く真実の仏説ではないでしょうか。

法話一覧

2018年06月17日