煩悩具足の凡夫

浄土真宗の教えは「阿弥陀如来」「浄土」といった救う側と、
「凡夫」「穢土(えど)」といった救われる側から語られます。


どちらが中心かといえば仏さまの話ですが、分かりやすいのは人間の話です。


『歎異抄(たんにしょう)』には、親鸞聖人が人間や私たちの世界について次のよう語っていたとあります。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
【現代語訳】わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまち移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何ひとつない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである

「阿弥陀如来は法蔵菩薩のときに平等の慈悲に催されて……」といった「法」の話よりは、内容が分かりやすいのではないでしょうか。

「そうはいっても、なんて悲観的なんだ……」と感じるかもしれませんが、受け取り方によっては、この言葉から救いや喜びを味わう人もいます。


大平光代さんは、中学時代のいじめを苦に非行に走ったのですが、猛勉強の末に29歳で司法試験に一発合格した弁護士として知られます。
波乱の半生を描いた『だから、あなたも生きぬいて』はベストセラーとなりました。
元大阪市助役であり、この間に中央仏教学院で学んでいたことから、浄土真宗関係の講演で話を聞くことがよくあります。


今年の4月に出版された釈徹宗先生との対談本である『歎異抄はじめました』には次のようなエピソードが紹介されています。

大阪市助役在任中、公務員の厚遇問題が発覚しました。市民が苦労して納めた税金を湯水のように自分たちのために使っていたのです。
私は改革の責任者として、大阪市役所という組織に長年溜まった膿を出し、改革にあたっていたのですが、ひどい誹謗中傷をうけました。
私たちの時代のつけを子どもたちに負わせてはいけないという思いで必死に頑張ってきたのに、本意がまったく伝わりませんでした。

改革の道筋をつけた後、当時の市長が出直し選挙に出るために辞職されたときに、私も辞職したのですが、しばらくマスコミから逃れるために知人の山荘で身を隠していました。
寒い時期だったので暖炉にくべる薪を拾いながら散歩をしていますと、ちょうど山の中腹あたりに琵琶湖が見えるところがあって、夕日をうけて湖面がきらきら輝いているのが見えたのです。その光に吸い寄せられるように山を下りていきました。
そして高架橋になっている駅のプラットホームに上がり、しばらくその輝きをみていたのです。

すると北風がピューッと吹いてくるのと同時に、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という『歎異抄』の一節が頭の中でこだましたんです。

その時、はっとしたんです。

私はこれまで世のため人にためと思っていたけれど、本当はどうやったんやろう。自分がいいように思われたかっただけじゃないのか。
人のためではない。全部自分のためにやっていたことなんだ。
そんなふうに思ったときに、煩悩具足の凡夫というのは自分のことだという自覚がはじめてできたんです。
その時を境に『歎異抄』が私の中で哲学書から宗教書に変わったように思います。

もう一度自分の人生を生きろって言われているような気がしました。
当時はそのまま政治の世界にいることもできたのですが、『歎異抄』のおかげで、権力や名声に固執せずにすみました。
あのまま政治の世界にいたら、強い者にへつらい、人の前では笑顔を取り繕って、弱い立場にいる秘書をいじめたりする人間になっていたかもしれません(笑)。

結婚して娘が生まれた時にも救われました。娘はダウン症候群をもって生まれ、白血病や心室中隔欠損などの合併症もありました。
抗がん剤治療のあと、生後四ヵ月で心臓の根治手術をして退院しましたが、三歳を過ぎても固形物は何も食べることができず、一回に飲むミルクの量も少ないため、夜中に二回ミルクを飲ませなければなりませんでした。
感染症にかかることも多く、夜中に嘔吐を繰り返すので、一晩中主人と交代で抱っこしていた時期もありました。
だから今、娘が成長してくれるだけで幸せですね。

これを受けて「世俗の価値に執着しない」は、すべての宗教におけるテーマだと釈先生は語ります。

世俗の価値観に振り回される自らを俯瞰するときに、私の苦悩を全貌を明らかにするのは「頑張ったらなんとかなる」という世間の嘘ではなく、「世の中はもともと偽物である」という仏教の真実ではないでしょうか。

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2018年05月13日