お釈迦さまは、「人生とは思い通りにならない苦しいものである」と教えてくださいました。
同時にその原因は、「思い通りにしたい」という汚れた心のはたらき「煩悩(ぼんのう)」にあることも明らかにしてくださっています。
「煩悩」は、仏教を読み解くキーワードのひとつです。
日常生活でも自分の子どもをかわいがるさまを「子煩悩」と表現することがあります。
大晦日にお寺で撞かれる108回の除夜の鐘が煩悩の数に由来していることをご存知の人も多いでしょう。
このように煩悩という言葉は広く知られています。
しかし、その正体は煩悩にどっぷりとつかった生活をしている私たちからは見えにくいのかもしれません。
煩悩の語源は古代インド語であるサンスクリット語の【kleśa|クレーシャ】です。
「苦しめる」「悩ます」「汚す」を表す【kliś|クリシ】という動詞の名詞形で、「苦しむ心」「汚れた心」を表す名詞です。
中国では「煩悩」と翻訳され、日本へと伝わりました。
『大智度論』には、
煩悩とは能く心をして煩らはしめ、能く悩みを作す、故に煩悩と名く
『入阿毘達磨論』には、
身心を煩乱逼悩して相続するが故に煩悩と名づく、此れ即ち随眠なり
『成唯識論述記』には、
煩は是れ擾(じょう)の義、悩は是れ乱(らん)の義、有情を擾乱するが故に煩悩と名く
と解説されています。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、
煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。
とお示しくださいました。
つまり、煩悩とは私たちの身心を煩い、悩ませ、掻き乱し、不安定にさせる心作用です。
人間は何かと苦しみを他人や周囲の環境のせいにしがちですが、仏教はその苦しみの原因を自分の側に求めます。
ですから煩悩さえ断ち切きってしまえば、もう苦しみが生じることはありません。
仏教は、この煩悩を滅した安らかなさとりの境地(涅槃)に至ることを究極の実践目的としています。【続】