本日から東京オリンピックが始まりました。
まさか自分が生きている間に東京で開催される日がくるとは。
東京の街はオリンピックで大盛り上がり! ということもなく、どこかよその国でやっているような感覚に陥ります。実感ゼロです。
安居期間なので、勉強に励みます。
今年の安居で注目度が高いのは「輪廻転生」というテーマではないでしょうか。
「人間はさまざまな迷いの境界を生まれかわり死にかわりをする」──僧侶はもちろん、僧侶以外の人も気になる話題だと思います。
このテーマを検討していくにあたって、事前に会読を担当する和上(典議)から提要(全体の方針)が出ます。
※浄土真宗における「輪廻転生」の要旨を知りたい方は、典議をつとめる松尾和上の講演録をご覧ください。
まず最初に【題意】によって、「輪廻転生」という論題を扱う意図を確認します。
論題「輪廻転生」
【題意】
解脱の因を満足しない衆生はどこまでも流転輪廻していくという通仏教的教説は、機の深信という浄土真宗の重要なる法義にとって、欠くべからざるものであることを明らかにする。
この【題意】を捌くことで「このテーマは何を問題にしているのか」「なぜこのテーマを明らかにするのか」「どうすればこのテーマの結論が明らかになるのか」といったスタートとゴールが見える……と先輩に聞きました。
和上の意図と合っているかはわかりませんが、恐らくこの論題では
「仏教ではさとりの種(因)をもたない衆生が生まれかわり死にかわり(輪廻転生)していくというが、浄土真宗ではどう受け止めるのか」
ということが問題になっているように思います。あくまで私的見解です。
なぜそのことが問題となるのかといえば、浄土真宗の聖典には「輪廻転生」に関する記述が多出するからでしょう。
この問題がどうすれば解決するのかを考えますと、「輪廻転生とは、浄土真宗において機の深信を語るのに欠かすことができない大切な説示である」ということが明らかになればよいわけです。多分。
そのために、次回は「輪廻転生」を扱っている聖教の御文を尋ねていきます。