涅槃会布教大会の配信をしているときに、テレビ番組の収録を見学したときのことを思い出しました。
バラエティ番組などで出演者が何か面白いことを言ったときに、スタッフの人たちが「はっはっは!」とわざとらしく大声で笑うシーンを見たことはないでしょうか。
あの笑い声は実際に現場で聞くと、かなり大きい声で、しかもみんなが笑っています。声だけで顔は笑ってません。正直、怖いです。
「テレビの現場というのは異質な空間だな……」と思ったのですが、よくよく考えれば出演者を盛り上げて良い番組を作ることにはあの大袈裟な笑い声は欠かせないのかもしれません。
というのも、僧侶は人前で話す機会が多いのでよく分かるのですが、反応がない中で話すのは本当に地獄です。
どれだけ大げさでわざとらしくても、大きな反応があるのと無音&無反応とは天と地ほど違います。
もちろん、反応がなくても変わらないパフォーマンスを発揮できるのが本当のプロなのでしょうが、僧侶は仏法のプロであっても、話術のプロではありません。
10分や15分ならともかく50分とか60分も相手の反応がないと心が折れてしまいます。
そのことを知っている僧侶であれば、法話をお聴聞するときには、さぞ温かく聞くのであろう……と思いきや、そうでもありません。
涅槃会布教大会の終了後にも「話しにくかった」「先輩たちの反応がなくて緊張した」と出向者からの声を聞き、悲しい気持ちになりました。
今回、私は配信席にいたので講師の視界の外でパソコンと睨み合っていましたが、本来であればもう少し出向者が話しやすくなる空気を作ってあげたかったです。
以前、現青年僧侶会の柏倉幹事長が
法話を聴聞するときに、遠慮して後ろの端の席でこっそり聞くことが美徳と考える僧侶がいるが、それは間違っている。
同じ僧侶であるからこそ、講師の目の前で話に頷いて笑い、講師を盛り上げて良いパフォーマンスを引き出さなければいけない。
そうして法座を盛り上げていくことこそが法座に座る僧侶の本当の役目だろう。
とおっしゃっていました。