浄土真宗本願寺派では法話の冒頭で基本的に「ご讃題」をあげます。
法話(讃嘆)の本題の意味で、聖典の一節を読み上げて法話の主題を明らかにします。
要するに「今日はこのことについて話します」というテーマであり、結論でもあります。
ところが古文であり、専門用語が多いため「いまのご讃題は○○という聖教に示されていて、△△という意味があります」という説明をするのが王道の構成です。
さらに耳で聞くだけではわかりにくいので、板書をして言葉を共有した方が親切でしょう。
しかし私はなるべく早めに本題に入りたく、板書もしたくありません。説明を飛ばして、法話全体がご讃題とイコールになるような構成で法話を考えるようにしています。
ですが結局「最初の言葉はどういう意味ですか」といった質問を受けることもあり、こちらの意図を伝え切る技術や力不足を痛感することがしばしば。
いろいろと試行錯誤をするなかで、例えばご讃題について簡単にまとめた資料を配付してみたりしました……が、解説資料を配るとそちらを読むのに夢中になって話を聞いてもらえない場面に出くわします。(私の話術不足ですが)
再考した結果、最近は『拝読 浄土真宗のみ教え』の一節を配布して、参拝者と一緒に読んでから法話を始めています。
先輩方が積み上げてきた伝統的なスタイルを崩すことは不本意なのですが、手元に文章があることで耳で聞いてわかりにくい言葉や聖教の一節を共有して始められますし、最初に一緒に声を出して読んでしまえば法話中にそちらに視線を奪われることもありません。
仮に文章に気を取られても、内容がそのまま法話と重なるため、話に戻ってきやすいです。
本当はもっと話術や構成力を磨いて、言葉だけで伝え抜くことができれば最高なのですが……そもそも少し工夫したところで簡単に伝わるほど甘くはありませんね。
よりよい布教の形を求めて、思案を重ねていきます。