1995(平成7)年3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、今年で30年が経過しました。

若林眞人先生が過去に執筆された文章をインターネットで拝見したのでご紹介いたします。
親鸞聖人の曾孫、覚如上人が聖人三十三回忌にあたって発表された『報恩講私記』の一節に、次の文があります。
つらつら平生(へいぜい)の化導(けどう)を案じ、閑(しず)かに当時の得益(とくやく)を憶ふに、祖師聖人(親鸞)は直也人(ただひと)にましまさず、すなはちこれ権化の再誕なり。(『浄土真宗聖典 註釈版』p.1072)
覚如上人は、親鸞聖人ご往生8年後のご誕生ですから、そのお姿をご存じではありません。
しかし、生涯かけて、親鸞聖人を世に知らしめ、そのご廟所を本願寺として打ち立てることに尽くされたお方でした。
その覚如上人が、親鸞聖人を「ただ人にましまさず」と仰がれた理由はどこにあったのでしょうか。
人間親鸞を絶対者とされたのではないのです。人間親鸞がどれほど立派な人格であろうと、そのご生涯からは阿弥陀さまのご法義は出てきません。 拙寺の掲示板の言葉で恐縮ですが、
①生身の人間を絶対者とする宗教は絶対に怪しい。なぜなら人間は生死無常から逃れられないのだから。
②密かに真実を伝える宗教は絶対に怪しい。なぜなら隠さねばならない真実はないのだから。
③批判を許さない宗教は絶対に怪しい。なぜなら真実はあらゆる批判に動じないのだから。
生身の人間を絶対者としてはならないことは、お釈迦さまの経説によって明らかです。
お釈迦さまが最後の旅をされた時、その道中、体調をくずされ、お弟子の阿難に自らの入滅を告げられます。阿難は嘆き悲しみ、お釈迦さま亡き後、私はだれの教えによって悟りへの道に入ることができるのかと問います。
お釈迦さまは生死無常のことわりを語られて、「自灯明・法灯明」の教えを語られます。仏法に照らされた「自ら」を依り所にし、その自らを照らす「仏法」を依り所とせよとの意です(教学伝道研究センターHP参照)。仏法を依り所とされたお姿こそが仏陀釈尊でありました。
親鸞聖人は29歳の時、法然聖人と劇的な対面をなさいました。それをふり返られて『教行証文類』には、
愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す(『浄土真宗聖典 註釈版』p.472)
と記されました。法然聖人との出遇いによって、比叡山二十年のご修行を価値なきものと捨てられ、阿弥陀仏の願いをうち仰ぐ身となられたのです。
その時、法然聖人から聞かれたご法義は
ただ後世のことは、よき人ひとにもあしきにも、おなじやうに、生死出づべき道みちをば、ただ一すぢに仰せられ候そうらひしを(恵信尼消息『浄土真宗聖典 註釈版』p.811)
と恵信尼さまのお手紙にあります。
比叡山20年のご修行は「生死出いづべき道」を求め続けられた日々でした。法然聖人の仰せを聞かれた親鸞さまは驚かれたに違いありません。
「私が超えて行く道ではなかった。阿弥陀さまが、この親鸞を生死無常の凡夫(ぼんぶ)と見抜かれて、かかりはててくださった。阿弥陀さまの願いによってこそ、生死を超える道がご用意されていたのだ」と。
以来、九十年のご生涯をかけて阿弥陀さまの願いをうち仰ぐお姿を私たちに示してくださいました。覚如上人が「ただ人にましまさず」と示されたのは、そのご化導のお姿にあったのです。
私たちは今、親鸞聖人のご化導によって、阿弥陀仏のお救いに聞きふれる身となりました。親鸞聖人七百五十回大遠忌(だいおんき)の勝縁は、あらためて親鸞さまにお礼を申すひとときです。
「親鸞さま、有り難うございました。ようこそ、九十年のご生涯をかけて阿弥陀さまのお誓いを、身にかけてお示しくださいましたね。ご老体に鞭打つごとくたくさんの書物を書き残してくださいましたね。もう、生身の親鸞さまにお目にかかることはできませんが、残していただいたお書物を親鸞さま、あなたさまからいただいたお手紙と大切に読ませていただきます。『お正信偈』をいただきましたよ。『ご和讃』をいただきましたよ。私は今、親鸞さまのご化導によって、阿弥陀さまの願いに聞きふれ、お念仏を申す身とならせていただきました。やがては、親鸞さまと同じ阿弥陀さまのお浄土に参らせていただきます。九十年のご苦労、まことに有り難うございましたね」と。
哀れなるかなや、恩顔(おんがん)は寂滅(じゃくめつ)の煙に化(か)したまふといへども、真影を眼前(がんぜん)に留めたまふ。悲しきかなや、徳音(とくいん)は無常の風に隔たるといへども、実語を耳の底に貽(のこ)す。撰び置きたまふところの書籍(しょじゃく)、万人これを披(ひら)いて多く西方の真門に入り、弘通したまふところの教行、遺弟これを勧めて広く片域の群萌を利す。(報恩講私記『浄土真宗聖典 註釈版』p.1072)