領解文の最後に「定めおかせらるる御掟(おんおきて)」とあります。
この「御掟」とはなにをさすのでしょうか。
「掟」とは「定め、取り決め、法度」などを意味します。蓮如上人が門徒に宛てたお手紙(『御文章』)には「掟」について書かれたものが多数あります。
一例として『御文章』第三帖第十通(註p.1152)に示されている「六カ条の掟」について確認しましょう。
一 神社をかろしむることあるべからず。
一 諸仏・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。
一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。
一 守護・地頭を疎略にすべからず。
一 国の仏法の次第、非義たるあひだ、正義におもむくべき事。
一 当流にたつるところの他力信心をば内心にふかく決定すべし。
以上の掟を読むと、蓮如上人当時の浄土真宗の僧侶や門徒の様子がわかります。
一 神社をかろしむることあるべからず。
一つには、一切の神明と申すは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくくおもふあひだ、神明の方便に、仮に神とあらはれて、衆生に縁を結びて、そのちからをもつてたよりとして、つひに仏法にすすめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(摩訶止観・意)といへるはこのこころなり。されば今の世の衆生、仏法を信じ念仏をも申さん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆゑに、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこころはこもれるゆゑなり。
神を軽んじることを誡められています。すべての神は私たち衆生に仏法を勧めるご縁をつくるために仏・菩薩が仮に姿を変えて私たちの前に現れたものです(本地垂迹)。阿弥陀如来を仰ぐ念仏者にとって神は崇める対象ではないかもしれませんが、神もまた念仏者を護る存在です(神祇護念)。だから「神や神社を蔑ろにする必要はない」「別の宗教と余計な摩擦を起こさないように」と誡めています。
一 諸仏・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。
二つには、諸仏・菩薩と申すは、神明の本地なれば、今の時の衆生は阿弥陀如来を信じ念仏申せば、一切の諸仏・菩薩は、わが本師阿弥陀如来を信ずるに、そのいはれあるによりて、わが本懐とおぼしめすがゆゑに、別して諸仏をとりわき信ぜねども、阿弥陀仏一仏を信じたてまつるうちに、一切の諸仏も菩薩もみなことごとくこもれるがゆゑに、ただ阿弥陀如来を一心一向に帰命すれば、一切の諸仏の智慧も功徳も、弥陀一体に帰せずといふことなきいはれなればなりとしるべし。
阿弥陀如来の功徳には諸々の仏さまや菩薩さまの智恵や慈悲の功徳が込められています。また諸々の仏さまや菩薩さまは阿弥陀如来を讃め嘆えてくださっています。だから「諸仏・菩薩を軽んじてはいけませんよ」と誡められています。
一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。
三つには、諸宗・諸法を誹謗することおほきなるあやまりなり。そのいはれすでに浄土の三部経にみえたり。また諸宗の学者も、念仏者をばあながちに誹謗すべからず。自宗・他宗ともにそのとがのがれがたきこと道理必然せり。
諸宗・諸法を誹謗することは、仏法をないがしろにすることです。念仏者としてはあってはいけないことであると誡められています。
一 守護・地頭を疎略にすべからず。
四つには、守護・地頭においては、かぎりある年貢所当をねんごろに沙汰し、そのほか仁義をもつて本とすべし。
土地の管理や年貢(税)の取り立てをしていた「守護」「地頭」を「疎略にすべからず(ぞんざいに扱ってはいけない)」と誡められています。なぜならこうした当時の地方役人たちに背いてしまうと念仏の弾圧の口実を与えることになるからです。
上人がこの『御文章』を認められた1475(文明7)年7月15日は吉崎御坊を退去される直前です。当時の門徒の大きなうねりのような動きが伝わってくるようです。
一 国の仏法の次第、非義たるあひだ、正義におもむくべき事。
五つには、国の仏法の次第、当流の正義にあらざるあひだ、かつは邪見にみえたり。所詮自今以後においては、当流真実の正義をききて、日ごろの悪心をひるがへして、善心におもむくべきものなり。
「国」とは北陸地方をさすものと考えられています。当時の北陸には浄土真宗が歪曲されて伝えられていたので「非義」と述べられています。上人は「非義」なる法義に対して親鸞聖人の説かれた「正義」なる法義を伝えようと努めました。
一 当流にたつるところの他力信心をば内心にふかく決定すべし。
六つには、当流真実の念仏者といふは、開山(親鸞)の定めおきたまへる正義をよく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐるをもつて宗の本意とすべし。それ一流の安心の正義のおもむきといふは、なにのやうもなく、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かかるいたづらものを本とたすけたまへる弥陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて、一念も疑心なく、おもふこころだにも堅固なれば、かならず弥陀は無礙の光明を放ちてその身を摂取したまふなり。かやうに信心決定したらんひとは、十人は十人ながら、みなことごとく報土に往生すべし。このこころすなはち他力の信心を決定したるひとなりといふべし。このうへになほこころうべきやうは、まことにありがたき阿弥陀如来の広大の御恩なりとおもひて、その仏恩報謝のためには、ねてもおきてもただ南無阿弥陀仏とばかりとなふべきなり。さればこのほかには、また後生のためとては、なにの不足ありてか、相伝もなきしらぬえせ法門をいひて、ひとをもまどはし、あまつさへ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもひはからふべきものなり。
上人は「他力信心をば内心にふかく」とおっしゃっています。
当時の社会のなかで事なかれ主義を貫くためにこうした「掟」を出されたのではありません。阿弥陀如来を仰ぐ念仏者であるからといって、あえて他を排除するようなふるまいをしてはいけないという意味で「掟」を定めたのです。
裏を返せばそれほどまでに「神社を軽んじる者」「他の仏や菩薩、お寺を軽んじる者」「他の宗派を謗る者」「役人を蔑ろにする者」「誤った法義を説く者」「誤った法義理解をする者」が当時は多かったのでしょう。