法話を聞いていると、たまに「“冥福を祈る”という言葉を浄土真宗で使ってはいけない」と話す僧侶がいます。
「冥とは、光が届かない暗い世界です。浄土真宗は亡き方の暗い世界での幸福を祈る宗教ではありません。亡き方は阿弥陀如来の光の浄土へと生まれ、仏様となったと仰ぐことのできる宗教です」
概ね、こういった内容でしょうか。
確かに、おっしゃる通りです。しかし、宗教の問題を言葉の問題にすり替えていいのでしょうか。
当たり前ですが、「浄土に生まれる」という言葉さえ使っていれば、それだけて浄土真宗が成立するわけでありません。
そこを勘違いして「冥福」という言葉を使った人をいたずらに否定したり叩いたりするのは、却って浄土真宗のご法義から人を遠ざけてしまうように思います。
僧侶の仕事が「言葉遣いを注意する」だけで終わっては悲しいです。
一方で、平生の言葉遣いは私たちの信仰や生活、思想に大きく影響するので、浄土真宗の言葉を積極的に用いることは大切です。
まとめると、他者の言葉遣いを否定するのではなく、「阿弥陀如来がいらっしゃる」「仏さまに抱かれてお浄土に生まれる」と自らが味わい、進んで発信することが大切なのではないでしょうか。
……こうした記事を書くことで「“冥福”という言葉を使う人を廃する僧侶」を廃することになり、結果的に負の連鎖が強まってしまうのかもしれません。
合掌