本日、5月7日は稱名寺で永代経法要がつとまりました。
ご講師には大阪府貝塚市の安方哲爾先生をお迎えして、ご法話をいただきました。
今回は安方先生がご紹介くださったお医者さんのお話を掲載いたします。
(みやざきホスピタルホームページより)
東京都に宮崎幸枝先生という内科医・小児科医の先生がいらっしゃいます。
東京女子医科大学を卒業後、東京女子医大病院の小児科に勤務するようになりました。
そこでは何度も何度も、治らないと分かっている病気の子どもの担当になったといいます。
そんなとき、宮崎先生は子どもにどんな言葉を掛けていたかというと、
「頑張ってね。死んじゃダメよ。今、こんなところで死んだらお母さん・お父さんが悲しむわよ。はやく元気になるのよ」
しかし、この言葉を掛けながら、それが嘘であると知っていたのは自分自身であったようです。
この子が治らないということを全て分かっているのは自分なのに、その自分が「死んじゃダメよ。元気出して。頑張って」と声を掛ける……もしも、「先生、だったら僕の病気を治してよ」と言われたらどうすればいいのでしょうか。
実際のところ、何もできません。にも関わらず、「死んじゃダメよ。元気出して。頑張って」と言うことしかできない。
ですから、自分の言ってきた嘘の言葉に非常に悩まれたそうです。
宮崎先生は、お母さまが大阪のかたで浄土真宗にご縁があったそうです。
詳しい経緯は分かりませんが、宮崎先生ご自身も築地本願寺へ通って“阿弥陀さま”“お浄土”といった浄土真宗のお話を聞くようになりました。
そのことが高じて、今ではご自身が副院長を務める「みやざきホスピタル」で月1回、浄土真宗のお坊さんを呼んで仏さまやお浄土の話を聞く会を開いています。
その会を続けていると、だんだん病院内の雰囲気が変わりました。
「死はタブーじゃない。死という言葉を使うのではなく、人はいのちを終えていくのだけと、それは仏さまに抱かれて、仏さまの世界に生まれさせていただくのだ。決して死はむなしいものではなく、尊いことである」
もちろん、全員が全員ではありません。ですが、そうした世界をみんなが聴いていくなかで、段々と院内の雰囲気が変わったのです。
今でも、宮崎先生は小さなお子さんを見送ることがあります。
そのときには、その子を抱きしめながら「大丈夫、大丈夫よ。いま、“なんまんだぶつ”の仏さまが、あなたのことを抱っこしてくださっているから安心よ。怖いことはないよ。仏さまのところへ参らせてもらう、尊いことだよ」
とおっしゃるそうです。死を否定して嘘をついて見送ることはなくなりました。
……けれども、他の病院のお医者さんはどう思うのでしょうか。
「そのことを言うのは医者の仕事か?」
医者の仕事は、病人を1分1秒でも長生きさせること。それなのに「死んでもいいよ」と言うのは、医者の仕事を放棄してるんじゃないかと考える人もいます。
確かによく分かります。しかし、そうはいっても自分自身がいのちを終えるそのときは、どんな言葉を聞けるのが幸せなのでしょうか。
「病気が治る」という嘘の言葉のなかで死んでいくのは辛いことです。
「死んではだめですよ。死は敗北ですよ。あなたが死んだら家族が泣くよ」と否定されながら死んでいくのは辛いです。
「そう言うなら、私を生かしてください」と返答しても、人間には何もできません。人間の言葉はどこまでも嘘・偽りばかりです。
いのちの最後には、お互いに仏さまの本当の言葉を聞かせていただきたいものです。
私たち人間が持っているその場を取り繕う言葉ではなく、仏さまが「それでいいよ。あなたを救う仏がここに届いているよ」とおっしゃってくださる。
そんな仏さまの真実の言葉を聞かせていただくことが最も尊いのではないでしょうか。
浄土真宗はいのちを終えてお浄土へ参らせていただくご宗旨です。でも、お浄土が分かるかというと、お浄土のことはよく分かりません。
しかし、そのことを阿弥陀さまが既にご存じですから、私たちに「お浄土を理解しなさい」とは仏さまはおっしゃいません。
「私がなんまんだぶと出向いてあなたを救うから、聞いておいてください」とおっしゃる。そのこと一つをお聞かせに預かるのが、浄土真宗のご法義です。
……以上、テープを聴きながら書き起こしたものを少し調整させていただきました。
ちなみに、宮崎先生は『お浄土があってよかったねー医者は坊主でもあれー』という著書も執筆されています。