阿弥陀と号する2


前回の投稿で、阿弥陀仏とは「いつでも」「どこでも」「誰にでも」はたらいてくださっている仏さまということを説明しました。

目に見えないけど「いつでも」「どこでも」「誰にでも」はたらいているものといえば、他に何があるでしょうか。


お坊さんが話しているのをよく聞くのが、“万有引力”や“重力”と呼ばれるはたらきの話です。質量のあるもの同士が引き合う力を万有引力といい、万有引力に自転の遠心力を合わせたものを重力というそうです。


要するに物が地球に引っ張られるから、リンゴが木から落ちるという話です。

このはたらきは目には見えません。しかし、何か物が落ちるところにはたらきがあることが確認できます。


仏さまのはたらきも同じです。目には見えませんが、お念仏が響くところを中心にそのはたらきがあることを確認できます。


ここで大事なのは、“万有引力”や“重力”は、物が落ちてる時だけ・私が気づいている時だけ存在しているものではないことです。
物が落下中でなくても、私が寝ていても常にはたらいています。


仏さまも、私が手を合わせていない時も、お念仏が聞こえていない時もはたらき続けているのです。
前回の投稿で紹介したお経に「寿命無量」とあったところで、時間的な限定がないことに通じます。


更に補足すると、地球と私の間に生じる“万有引力”や“重力”は、理論の上ではどこまでも届くものですが、重力圏という範囲があります。地球からおよそ26万km離れると太陽の重力の方が強くなります。


しかし、仏さまは私が宇宙の果てにいたとしても、苦しみの中で人知れず孤独の闇に沈んでいたとしても間違いなく届いてくださいます。
前回の投稿で紹介したお経に「光明無量」「照十方国」「無所障碍」とあったところで、空間的な制限がないことに通じます。


他にも携帯電話やスマートフォンの電波もよく例え話に用いられます。


私たちが日ごろ使用する携帯電話には、電波が届いています。ただ、電波もまた仏さまのはたらき同様に目には見えないものです。


電波が届いていることがどんな時に分かるかと言えば、メールやメッセージが携帯電話に届いている時です。


仏さまのはたらきも、私の元に届けられたお経の言葉を通じて触れることができます。

他にも、画面を見た時にアンテナが立っていたり、電波状況が分かる表示があると電波が届いていることが分かります。


仏さまのはたらきも、お立ちすがたの仏さまの前に座る時に感じることができます。


そして、着信音が鳴ったり、相手と通話をしている時もまた、目には見えない電波がはたらいていることが分かります。

仏さまのはたらきも、「南無阿弥陀仏」のお念仏を称えたり、聞こえたりするところに届いていることが味わえるのです。


前述の万有引力の話と重なりますが、別に私がメールを読んでいる時・アンテナを確認している時・着信音が鳴ってる時だけ携帯電話に電波が届いている訳ではありません。


同じように、仏さまも私がお経を読んでいる時・仏さまの前に座っている時・お念仏を称えている時だけ届いているのではありません。「いつでも」なのです。


蛇足ですが、電波はトンネルや地下に潜ると圏外となってしまいます。


しかし、仏さまのはたらきには圏外がありません。私がどんなところにいても、どんな時であっても間違いなく私を摂め取っていてくださるのです。「どこでも」なのです。

身近な例え話を用いながら、「いつでも」「どこでも」「誰にでも」の阿弥陀仏のはたらきについて法話……というか説明させていただきました。
もちろん、私がこの記事を書いている今も、貴方がこの記事を読んでいるこの瞬間も届いています。南無阿弥陀仏。

法話一覧

2017年05月28日