良い悪い


気象庁の予報用語の取り決めに「“良い天気”や“悪い天気”のような言葉は、意味がいろいろに解釈され誤解をまねきやすいので用いない」というものがあるそうです。
確かに言われてみれば、ニュースの天気予報で気象予報士の人が「今日は良い天気です」「悪い天気が続きます」と言っているのを聞いたことがありません。


以前、雨が降っている中でタクシーに乗った時のことです。

「雨、強いですね。お客さん、濡れませんでしたか?」

「大丈夫です。このところ天気が悪くて大変ですよね」

「そうですね。でも雨の日はお客さんがたくしんタクシーをご利用くださるから、雨って私たちにとっては悪いものでもないんですよ」


運転手の方がおっしゃる通り、世の中には雨が降った方が助かる人もいます。タクシーは雨の方が利用者が多いですし、他にも農作業をされる方や傘などの雨具を作る人にとっては雨の天気の方が都合が良いはずです。
そう考えると、「良い/悪い天気」というのは、正しくは「“私にとっては都合が”良い/悪い天気」ということになります。

人間はいつでも、その物事の本質ではなく自分の価値基準によって「良い」「悪い」を決めています。

これは「良い人」「悪い人」という場合も同じです。良い人や悪い人が実際にいるのではありません。あの人を良い/悪い人だと思う私がここにいるだけなのです。

自分を中心にしか物事を見られないのが人間です。自分にとって都合が良いものは周りを傷つけてでも追い求め、そうでないものは容赦なく切り捨てていく。そうやって煩悩に振り回されてしか生きていくことしかできません。
裏を返せば自分自身も周囲の人たちからの都合が悪くなれば、裁かれて捨てられていくのでしょう。


その結果、人を傷つけ、自分も傷つけながら悲しみや憂いを抱えながら生きていく人間のすがたがあったからこそ、阿弥陀如来という仏さまは立ち上がってくださったといいます。

人間が持つ煩悩や、抱える孤独から流していく涙はそのままが仏さまのぬくもりが宿る場でもあります。

法話一覧

2017年06月04日