淺田正博(恵真)和上がこんな話をされていたと聞きました。
宗教というのは「電車のつり革」に似ています。電車が一定のスピードで進行方向に真っ直ぐ走っているときに「つり革」は必要ありません。
しかし、電車が急ブレーキをかけたり、急カーブを切ったときはどうでしょうか。思わず「つり革」を掴むはずです。
同じように、私たちの人生も必ず急ブレーキや急カーブがかかる場面が訪れます。
例えば、代表的なものが家族や友人など身近な人の死です。人によっては大病や交通事故かも知れません。失業や失恋という人もいるでしょう。
いずれにしても、こうした人生の急ブレーキや急カーブに対して、私たちはどんなつり革を掴むことができるのか……。
緊急時において、「どのつり革を掴もうかな」と選択する余裕はありません。
もしかしたら思わず手の届くところにあるつり革を掴むことになる人もいるでしょう。
もしも、そのつり革がいい加減なものだったら大変です。怪しい宗教や自分を利用しようとする悪い人たちという頼りないつり革は、私の身体を支えてはくれません。
きっと放り出されて大けがを負ってしまうでしょう。
今は元気で幸せで順調だからと「つり革」を必要としない人も、自分を支えてくれる「真実の宗教」というつり革を手の届く範囲に用意しておく必要があるのではないでしょうか。