釈迦の仏教2

お釈迦さまは、35歳でさとりをひらかれました。外から入ってくる「老」「病」「死」の3つの苦しみの要因を心の中で受け入れ、同時にそれら苦しみに転換しないようにする作業に成功したのです。「人格改造」に成功したといってもいいでしょう。
自分の力で自分の世界を変えるのは、大変厳しいことです。今も世の中には「ちょっと心が軽くなる」「気持ちが楽になる」と掲げた「良い話」が溢れています。しかし、「ちょっと心が軽くなる」とは、「うちへ帰れば元に戻る」の意味です。そんなものは何の役にも立ちません。
お釈迦さまが自分に課したのは「ちょっと」ではなく、「永遠に」自分が変わっていく道を探ることでした。不可逆的に自分を変えることができる──その道筋を明らかにしたのがお釈迦さまです。
「自分の力で自分を変える」。後に「仏道」「仏教」と呼ばれる教えの本質です。


では、自分をどう変革したのでしょうか。前回も確認したように、世の中の「老」「病」「死」の現象が苦しみにならないように自己改造したのです。
具体的には何をどう変えたのか……例えば、自動車の構造をより良い自動車に改造しようと思うときには、何からはじめるでしょうか。
恐らく、いきなりボディを剥がして、新しい部品をつけることはしないでしょう。まずは、その自動車の構造を解明します。次に、どこをどう改造すればどう変わるのかを理論的に理解し、それから実際の改造作業に取りかかります。


同じようにお釈迦さまも、まずは自分の心を正しく観ることからはじめました。しかし、自分の心を観るといっても、レントゲンで見るわけにもいかなければ、脳波を測る機器もありません。
そこで、お釈迦さまは精神集中──自分で自分の心をジッと見つめ続ける作業を、強烈なパワーで推し進めることにしたのです。
驚異的な集中力で自分を見続けた結果、苦しみを生み出す原因を見つけ出しました。それが「煩悩」です。煩悩には「根本煩悩」と「枝末煩悩」があります。大事なのは「根本煩悩」の撲滅です。根本が消えれば、枝末も自然と消えます。
根本煩悩の中心に存在するのは「自我」です。自分を中心に世界を見ることです。この「自我」を、人間は誰もが生まれつき持っています。
煩悩という心の奥底にある「我」を中心とする考え方を否定して、本当の、正しい、自分が世界の中心ではないと世界を見ること。これが「老」「病」「死」の苦しみから逃れる唯一の道だとお釈迦さまは示されました。〈参考「現代を仏教的に生きるということの意味」佐々木閑〉


先週の花まつりをご縁として、さらに原始仏教の構造をうかがいました。

法話一覧

2018年04月15日