「“暑い”の反対は“寒い”です。では、“ありがとう”の反対は?」
先生から聞かれて、戸惑いました。「感謝の反対だから、謝罪で“すみません”とか“ごめんなさい”かな?」と考えていましたが、正解は違いました。
「“ありがとう”の反対は、“当たり前”です。“ありがとう”は漢字で“有る”ことが“難しい”と書きますから、その反対は“有る”ことが“難しくない”こと、つまり“当たり前”になります」
「ふーん、そうなんだ」と聞いていましたが、調べてみると“ありがとう”という言葉は仏教に由来しているそうです。『法句経(ほっくきょう)』というお経の中にある「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」が語源なんだとか(参考『言葉の旅』より)。「私たちがこうして人間として生まれたことはもちろんのこと、いつ死んもおかしくないものが、今こうして生きているのは当たり前じゃなくありがたいことですよ」という教説です。
“ありがとう”は、いつからか感謝を表す言葉となりました。確かに私たちは「当たり前」と思っていることには感謝しませんし、「あることが難しいこと」「珍しいこと」と思っている時には感謝するのでしょう。
仏教は「縁起」の教えです。私が今ここにいることは、多くの縁によって成り立っていることから、「当たり前のことは1つもない」と教えてくれます。
例えば、両親や祖先はもちろん、日々の食事や酸素を発する植物など、多くの存在のお陰があります。
今まで事故に遭ったりしなかったから、大きな病気にならなかったからということも挙げられます。
他にも、自分の代わりに誰かが犠牲になったこともあったでしょうし、自分が生きていることで亡くなっていく生命もたくさんあったかも知れません。それも、自分がここに立っている理由の1つでしょう。
科学でも、今から約137億万年(±2億年)前の宇宙が誕生し、
宇宙を決定する自然定数が現在の値になったこと、
太陽が大きすぎなかったこと、
太陽から地球の距離がちょうどいいこと、
木星・土星という2つの巨大惑星があったこと、
月という衛星が地球のそばをまわっていたこと、
地磁気が存在していたこと、
オゾン層が誕生したこと、
地球に豊富な液体の水が存在したこと、
など挙げたらキリがないほど人類が生まれるために必要な縁が重なったと言われます。(参考『人類が生まれる12の偶然』)
そんなことに思いをめぐらせると、1つ1つの出会いや出来事にも感謝する心が生まれるのでないでしょうか。
しかし、実際のところ、そんな風にいつでも感謝することは難しいです。私たちには煩悩がありますから、余裕がなくなれば目の前のことに追われますし、自分にとって悲しい出来事や嫌な出会いを“ありがたい”と受け入れる心はなかなか生まれません。
そうした私たちの理屈ではどうにもならない心を、根底から支える拠りどころと出遇う。その時に自分にとって辛いだけで無意味と考えていたことに意味が与えられ、それまでのご縁に感謝することができるようになるのかも知れません。