5月21日は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の誕生日です。
親鸞聖人は、平安時代の終わりのころに京都の日野の里(京都市伏見区日野)でご誕生されました。
聖人が亡くなられると、後にご遺徳を讃える報恩講(ほうおんこう:親鸞聖人の法事)がつとまるようになります。しかし、ご誕生をお祝いする行事はありませんでした。
というのも、当時は現代と違って出生届などが存在しません。つまり、正確な生年月日が記録されている公式文書がないのです。
しかも、「数え年」といって誕生日に年齢を重ねるのではなく、元日にみんな一斉にひとつ年をとっていました。何かと誕生日のお祝いをする今とは違って、誕生日はあまり重視されていなかったのでしょう。
そのため、歴史上の偉人と呼ばれる人であっても、誕生日どころか生まれた年も分かっていなかったり、諸説があって確定していないことが多いです。
例えば、紫式部や清少納言の誕生日は分かっていませんし、僧侶であれば真言宗の開祖である弘法大師 空海も不明です。一応、6月15日ということになっているそうなのですが、実はこの日は不空金剛(ふくうこんごう:不空三蔵)という中国の高僧の命日でもあります。
このことから「弘法大師は不空金剛の生まれ変わりではないか」と6月15日に決まり、全国の真言宗のお寺は6月15日に“弘法大師誕生会”をつとめるのです。
話が逸れましたが、親鸞聖人の場合は著述のなかにその時の年代や年齢が記されているため、生まれた年が1173(承安3)年であると算出できました。しかし、誕生日は分からないまま。
江戸時代に入ると、親鸞聖人の誕生日が4月1日だという説が定着します。これは浄土真宗の高田派という宗派の伝承(『高田開山親鸞聖人正統伝』)に則った日にちです。
江戸時代の後期になると、親鸞聖人から数えて20代目の宗主となる広如(こうにょ)上人が親鸞聖人が生まれられたと伝えられる日野の地に“有範堂(ありのりどう)”を建立して参拝するようになりました。
有範とは、親鸞聖人のお父さまである日野有範卿に由来し、現在では“日野誕生院”と名前を変えています。
明治時代になって21代宗主の明如(みょうにょ)上人は、宗祖の誕生された日を太陽暦に換算して5月21日としました。そして、1874(明治7)年に、初めて本願寺で宗祖のご誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)」が勤修されたのです。
1887(明治20)年には普通教校(現在の龍谷大学)で行われ、それから全国のお寺に広まりました。
〈参考『浄土真宗辞典』〉
合掌