目的


少し前に買い物へ出掛け、外での仕事用にコートを購入しようと思ったところ、店員さんが

「申し訳ございませんが、こちらの商品のお客様用サイズは在庫がございません」

違う色にしようか、サイズ違いにしようかと考えていると、さらに

「他の店舗に在庫があるか調べてみます」


少し待つと、どうやら希望色の希望サイズがあるのは千葉県の店舗のみで、しかも取り寄せも不可。
ネット上も売り切れなので、手に入れるには千葉県まで行くしかないと告げられました。


それから色々と調べてみましたが、他にいいものも見つからなかったので、今日になって千葉県まで買いに行くことにしました。
しかし、午後から予定があるため、朝から出掛けて昼前には帰ってこなければいけません。
それでも行けそうなのが今日くらいしかなかったので、仕方がなく早起きして出発。


高速道路を車で走ること1時間超。なんとか目的のお店に到着しました。

「すみません、このコートの小さいサイズが欲しくて、こちらの店舗になら在庫があると聞いたんですが」

「ただいまお調べします……すみません、こちらの店舗でも売り切れです」

「えっ、インターネットのサイトでもこちらに在庫有となっていたんですが」

「インターネットの在庫は実店舗の在庫とタイムラグがございまして……」


肩を落として帰路へ就きます。
目的のものが手に入らなかったために、早起きしたことも、今まで車で走ってきた時間も、高速料金も全てが無駄になったと思うと悲しくなりました。


目的をもって行動するとき、目的が達成できなかった場合にはそれまでの行動が無駄になってしまうと感じることが往々にしてあります。


あるものを買おうと貯金していたのに、目的のものが買えなくなってしまった。せっかくの貯金が無駄になってしまった。


ある人に会うために出掛けたのに、目的の人に会えなかった。せっかくここまで来たのに無駄足だった。


ある学校に受かるために勉強したのに、目的の学校に入ることができなかった。せっかく勉強してきたのに。


ただ、こうした場合は新しい目的を見つければ積み重ねが無駄にならないことも多いです。


では、人生の場合はどうでしょうか。「人生の目的」や「なんのために生きているか」と考えると少し難しいですが、「いつまでも若々しく元気で長生きをしてよりよい人生を」をめざすとします。
もしもその目的が達成できなかったとしたら、それまでの人生がすべて否定されてしまうのかも知れません。


「いつまでも若々しく元気で長生きをしてよりよい人生を」と生きてきたけど、最後には老いて衰え独りで死んでいかなければならない……私は今までなんのために生きてきたのだろうか。


人生を目的達成のための手段にしてしまうと、その目的が達成できなかったときに人生そのものが無駄になってしまいます。
じゃあ自分は何のために生きているのか……という問いに答えるのが宗教なのでしょう。

そして「今」「ここ」「私」に答えがあるのが浄土真宗なのでしょう。

合掌

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2017年10月19日