身・口・意

「知らずにする悪と、知っててする悪はどっちの罪が重いか」という話を前回お伝えしました。

この悪を犯すことについて、もう1つ面白い話を聞いたことがあります。(明確な出典が不明なので参考程度でお願いします)

仏教では、人間の行動を三業(さんごう)で語ります。意業(いごう)・口業(くごう)・身業(しんごう)の3つです。それぞれ意識・口・身体での行いを指します。この3つではどれが最も罪が重いでしょうか。

もう少し具体的に言うと、

意識や心の中で相手を傷つけること(意業)

言葉で相手を傷つけること(口業)

身体で相手を傷つけること(身業)

どれが悪いのかということです。

普通に考えれば身業なのですが、仏教ではちょっと違うようです。

何故なら私たちの口や身体での行為は、全て意識していることが表面上に現れた結果です。
意業が口業・身業の根本となるので、意識での行いが最も罪が重いのです。

同時に、口や身体のように表面上に現れた行為は、実際に相手を傷つけることで相手の反応に罪悪感を覚えたり、周囲の人に裁かれたりして、反省する場や罰を与えられる機会が多いものです。

しかし、意識は違います。どれだけ私が「あんな奴はいなくなればいい」と悪いことを考えても、読心術を使われない限りは、誰も「ダメだよ」と指摘することは不可能です。つまり、自分が悪いことをしていると気づくことができません。
前回も書いた通り、悪の自覚が生まれないということは、自分は正しいと信じて疑わないことです。正しいと思うことは繰り返され、無自覚の悪の意識は知らず知らずのうちにどんどん膨れ上がり、延々と悪を重ねてしまいます。

「いや、実際に人を傷つける方が悪いでしょう。心のなかで思ってるだけなら誰にも迷惑かけてないし……」

そんな風に、あまり納得できない人が多いのではないでしょうか。ですが、自覚がないことほど怖いことはありません。

仏教と世間の常識とは視点が大きく異なることがよく分かる話のひとつです。

合掌

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2017年04月11日