悪の自覚

前回の続きです。友人が踏切の一時停止違反で尋問を受けていた時のこと。

「分かってて無視したんですか?うっかり無視したんですか?」

「故意」か「過失」かの確認をされる友人。

「それを聞くと何か変わるんですか?」

「今回の違反の件では変わりません。罰則が厳しくなるとかそういうことではないですよ」

「じゃあ何のために聞くんですか?」

「今後、違反が重なった時に『この人は分かっていて違反をする人間かどうか』の判断材料になります。故意の違反が多いと、取り締まりが厳しくなります」

つまり、法律のうえでは、分かっていて違反をした人の方が罪が重いのです。

面白いことに仏教ではこの逆で、知らずに悪を犯す人間の方が罪が重いといわれます。

理由は簡単です。私たちはいけないことだとわかっていても……例えば人の悪口を言ったり、相手を傷つけることがあります。

でもそれがいけないことだと知っていれば、いつかブレーキが掛かりますし、反省したりすることができる……のかも知れません。


反対に、いけないことだと知らずに悪さをする人はどうでしょうか。

そういう人は自分がやっていることが間違っていると知らない──つまり自らの行為が正しいと勘違いしていますから、どんどん悪を重ねてしまいます。

だから、「何も知らずに悪さをする人間の方が罪が重い」というのです。

その話をお巡りさんにすると、


「なるほど。じゃあご友人は今回のことで悪を自覚したから、もう違反をされないということになりますね」

仏法を伝えることの難しさを感じました。

合掌

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2017年04月10日