とある結婚式の二次会で先輩僧侶に声を掛けられました。
「法事ではお参りの方々にどんな話をしてるの?」
「えーっと、うちは浄土真宗のお寺ですから、浄土の話や阿弥陀如来の話ですかね」
「それって相手に伝わってると思う?」
「うーん、どうなんでしょうか。いろいろと工夫はしているんですが、伝わる人には伝わってるかも知れませんし、そうでない方には――」
「いや、伝わってないよ」
「えっ?」
「全然、伝わってないよ」
「はぁ……」
「伝わっていると思っちゃダメだよ」
そのときは少しだけムッとしてしまいましたが、今になって考えるとその通りだと思います。
お坊さんに限らず誰でも人前で話すときは相手に伝わるようにと工夫をするものです。
しかし、その工夫によって相手に本当に伝わりやすくなっているかというと、それは聞いている本人にしか分かりません。
「自分がこれだけの工夫をしたのだから相手に伝わっているだろう」と根拠もなく考えるのは、自分の力を過信しすぎている慢心の表れ……と先輩は私に伝えたかったのでしょう。
同時に「相手はこういう人間だから、こう言えば伝わるだろう」と聞き手の資質や能力を分かった気になって勝手に判断するのはとても失礼です。相手を下に見る態度の表れでしょう。
自分の言葉が思うとおりに相手に伝わっているのかは、相手が決めることです。
だからといって、なんの工夫もする必要がないかといえばそうではありません。出来る限りの努力は重ねるべきです。
その結果、相手に伝わるかはまた別の話。私が一生懸命になることと、相手がどう受け取るかはまったく関係ないのです。
「伝わっていると思っちゃダメだよ」
先輩からいただいた金言として大切にしています。
合掌