日本語1

仏教の根本思想に「縁起(えんぎ:因縁生起)」があります。ありとあらゆる存在は、無数の原因(因)や条件(縁)によって生じていることを明らかにする教えです。
私たちは自分の力で“生きている”のではなく、さまざまな縁に“生かされている”──お坊さんのお説教でよく聞くフレーズです。

最近はあまり聞きませんが、日本は仏教国といわれます。「挨拶」「我慢」「退屈」など仏教に由来する日常語はたくさんあり、未だにコンビニよりもお寺の数が多いそうです。

日本語学者の原沢伊都夫先生の本を読んでみると、どうやら日本語そのものが仏教の影響を強く受けているように感じました。

たとえば動詞には自動詞他動詞があります。

「降る」「吹く」「光る」といった目的語をとらない動詞が自動詞です。「雨が降る」「風が吹く」「星が光る」など、自然現象を表すときによく用いられ、物事が自然に生じることを表します。

対して、「食べる」「飲む」「作る」といった目的語(~を)をとる動詞が他動詞です。「私が“パンを”食べる」「友だちが“水を”飲む」「彼が“家を”作る」など、人間の行動が起点となり、物事を引き起こすことを表します。

例外はありますが自動詞は自然中心・他動詞は人間中心と考えることもできるかも知れません。日本語の特徴は自動詞が多いことです。


金谷武洋さんは『日本語文法の謎を解く』のなかで、人間中心の英語では地名に人名をつけたがり、自然中心の日本語では空間や環境による地名が多いことを紹介しています。

たとえば、カナダの有名な地名である「バンクーバー」「ヴィクトリア」「レイク・ルイーズ」は、それぞれ実在の探検家・女王・王女の名前です。

一方で、カナダ人が征服する前の先住民がつけた地名は、日本語と同じように場所や自然に由来する名前が多いそうです。首都の「オタワ」は「交易する場所」、「ナイアガラ」は「水のとどろき」など。

日本の地名ついて、数千の駅があるJRを例にあげると、人名に由来する駅は岡山県を走る伯備線「方谷(ほうこく)駅」のみだそうです(司馬遼太郎『峠』より)。周辺にこの方谷(ほうこく)の地名はなく、備中松山藩士で漢学者の山田方谷さんに由来すると考えられています。

そもそも日本人の人名は自然や土地が元になったものばかりです。いかに日本では人間の名前を地名にすることに抵抗があるのかがよくわかります。

読者の方に誤解しないでいただきたいことは、このような自然中心の発想は、決して日本語特有の発想ではないということなんですね。つまり、世界の言語は大きく分けて、自然中心の言語と人間中心の言語に分かれ、欧米語は人間中心の言語であるのに対し、日本語は自然中心の言語に含まれるということなんです。
(原沢伊都夫『日本人のための日本語文法入門』)

人間を中心に見ていくのではなく、自然を中心に見ていくという日本語には「生かされている」という仏教精神が宿っている……と考えるのは飛躍しすぎかも知れませんが、もしかしたらなにか影響があるのではないでしょうか。

個人的に関心があるので、また近いうちに調べてみようと思います。

合掌

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2017年04月23日