中島岳志


文京シビックホールで、中島岳志さんの講演を聴いてきました。


中島岳志さんは政治学者として報道ステーションのコメンテーターをされていたのでご存じの方も多いと思われます。
阪神大震災や地下鉄サリン事件を経験し、宗教について考えるようになり、思想家の吉本隆明氏を通じて親鸞思想に関心を寄せるようになったといいます。


講題は「となりの親鸞」でした。

私たちの日々の姿は、自分が「正しい」「間違いない」「絶対である」というものである。しかし、その認識を持つ瞬間に親鸞は「それって本当か」「危ないぞ」「お前はどこに立って物を言っているんだ」と私に告げる。
一方で、私が迷っているときは「私もそうだよ」「私も分からないよ」と親鸞は手を差しのべてくれる。
『歎異抄』にはそんな親鸞のすがたがある。その親鸞を自分のとなりに置くことが大切なのだ。

非常に興味深い内容でした。当たり前のことですが、宗教者の自分とは立ち位置が大きく異なると感じました。

というのも、宗教で示される“真実”を、親鸞という一人の人間の“思想”で収めてしまうのはもったいない気もします。それは親鸞聖人の本意ではなかったはずです。

ただ、文字(漢字)を読むことができなかった当時の民衆だけでなく、今の時代の大学教授にも響く親鸞聖人の言葉というのは非常に懐の深いものであると再認識させられました。

合掌

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2017年05月02日