ナモとナム②

親鸞聖人以降の本願寺の伝統を受けて「南无」だけではなく「南無」の読み方も「ナモ」と定めたのは、江戸時代中期の学僧である玄智(1734~1794・京都慶証寺)です。


玄智は非常に博学な人で多くの功績を残しています。そのひとつに「唱読音」を定めたことが挙げられます。


唱読音とは「浄土三部経」や「正信偈」などを声に出して読む(唱読)際の読み方(音韻)のことです。
口伝であったため、時代によって唱読音は変遷しがちでした。玄智はその状況を正し、本願寺派における正統な読み方を定め、いくつかの書物に著しました。


そのひとつである『大谷浄土三経字音考』では、中国における音韻関係の辞書でもっとも権威のある『広韻』によって「南無」という場合の「無」の読み方を「モ」と定めています。


さらに浄土真宗の百科事典ともいうべき『考信録』を著し、「無」の字について詳しく解説しています。「南無」の「無」の字を「モ」と読むことは本願寺において親鸞聖人以降の伝統であり、「南無」という場合の「無」は「ム」の音ではないことが示されています。


ちなみに玄智のころ、「南無」は一般的にどう発音されていたのでしょうか。


1603年刊の日本語-ポルトガル語辞書『日葡辞書』の「南無」の項には

Namu ナム(南無)。仏に対して称名をしたり、拝礼したりするのに使う言葉。
(例)Namu Amidabut

とあります。


つまり当時、一般的には「南無阿弥陀仏」は「ナムアミダブツ」と発音されていたのです。現代と同じような状況だったのでしょう。

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2025年03月07日