おかみそり

築地本願寺で法名について講義をしてきました。


これまで勉強してきたことを発表し、参加者からの質問に答えて無事に終了。


法名に直接関係がなかったので今回は話しませんでしたが、法名を授かる「帰敬式(ききょうしき)」についても調べていました。

そもそも、法名とは自分で勝手に名告るものではなく、儀式を受けて善知識から授かるものです。


例えば、浄土真宗本願寺派では京都・西本願寺で毎日執り行われている「帰敬式」を受式して西本願寺住職であるご門主(もしくは代理の僧侶)からいただくのが通例です。
※ただし、帰敬式を受けずに亡くなられた場合は、所属寺の住職から法名をいただきます。

帰敬式の内容は次の通りです。

①仏・法・僧に対する三帰依文を唱える
②ご門主からかみそりを頭髪に三度当てていただく(このことから帰敬式をおかみそりともいう)


ここで私が疑問に思ったのが「なぜ、かみそりを三度当てるのか」ということです。

早速、自分なりに調べてみました。


まず最初に出てきたのが、「他宗派の欲界・色界・無色界の三界の惑を断ずることに倣う」という説です。「私の歩んできた生まれ変わり死に変わりを繰り返す迷いの世界を断つ」ということでしょう。
地域によってはおかみそりを当てるときに「流転三界偈」(流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者)を唱えるそうなので、通仏教的な解釈として有力でしょう。


次に現役の侍真(じしん|ご門主のお手代わり)に聞いてみたところ、「仏・法・僧の三宝ではないか」と回答がありました。
実際に人によっては「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と唱えながらおかみそりを当てる人もいるそうです。


最後にお聖教に訊ねてみたところ、親鸞聖人の物語を伝えている『口伝鈔』九条に浄土宗鎮西派の派祖である聖光房弁長と、その師・法然聖人の次のようなエピソードがありました。

故郷に帰ろうとしている聖光房に対して、法然聖人は「仏法を学ぶ者は髻(もとどり|髪の毛)を剃らないといけない」とおっしゃいました。

「法然さま、お言葉ですが私は出家得度をして以来、ずっと剃髪をしています。それなのにどうして髻を剃れとおっしゃるのですか?」

「仏法を学ぶ者には剃らなければいけない三つの髻がある。それは勝他(競争心)・利養(利益を貪る心)・名聞(名誉欲)である」

自分の思いが強く、お念仏の教えを正しく聞かない聖光房に対して、法然聖人は「三つの髻を剃りなさい」と誡められたのでした。

覚如上人の鎮西浄土宗観を反映したエピソードですが、ここから「浄土真宗の剃髪とは、形だけの頭の剃髪ではなく、世間の価値観(勝他・利養・名聞)ではなく仏法を中心とする心の剃髪である」として、おかみそりを三度当てるという説もあるそうです。


他に詳しそうな先生に聞いてみたところ、「本願寺派第22世である鏡如さまは2万人の帰敬式受式者があった宮崎県照護寺の際は一回当てであった」「大谷派の前門首である浄如さまは通常二回当てていた」という情報もありました。

必ず三回でなければいけない……ということもなさそうです。

合掌

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2020年09月02日