来月、築地本願寺で「戒名と法名」の話をすることになりました。
いくつか資料を集めたので、ご紹介します。
□「名」とは何か
そもそも「名」は、何のためにあるのでしょうか。「名」は区別するはたらきがあります。例えば「佐藤さん」と「山田さん」とは、別の人をさします。
ただ、「名」の意味はそれだけにとどまるものではありません。「名前」には、さまざまな思いが込められ、人生の中で折に触れて名前の意味・由来を意識することがあり、時には名前が生きる力となることさえあるでしょう。
法名も名前のひとつです。法名の歴史・由来を学びながら、法名の持つ意義について考えてみましょう。
□法名の形
浄土真宗では「釋○○」と、「釋」の下に二文字の法名をつけます。
この内、「釋」は姓にあたるものです。この「釋」の下に二文字の法名を付ける形式は、中国の道安(314-385)によって発案されました。
道安が生み出したこの形式は、釈尊の教えに由来しています。
「アナヴァタプタ」という泉から「①ガンガー」「②シンドゥ」「③ヴァクシュ」「④シーター」の四つの大河が海へと流れ出している。
それらは大河が海へと流れ出している。それらは海に流れ込むと、もとの名はなくなり、ただ「海」と呼ばれる。
同様に「①クシャトリヤ」「②バラモン」「③ヴァイシャ」「④シュードラ」の四つの身分があるが、釈尊のもとで出家し、教えを学ぶ者となれば、元の身分がなくなり、釈尊の弟子というだけになる。
なぜなら私(釈尊)と教え(法)によって生まれた者だからである。(『増一阿含経』巻二十一、取意)
文章中に出てくる四つの大河は、インドの身分制度の譬えです。インドには古来、厳しい身分制度(四姓制度)が社会に定着し、生活の万端を規定してきました。
宗教についても例外ではなく、身分の低い者は、宗教儀礼に関与することが許されませんでした。
対して仏教では、あらゆる身分の者に出家が許されました。また、いったん海に流れ出た水を「これはガンガー河の水だ」と呼べないように、教団内では、出自によって差別されることがありませんでした。
この釈尊の平等思想を承けて、現在の法名の形があります。
道安当時の中国は、封建制度の色濃い社会でしたから、姓はしばしば社会的な身分をも意味しました。
そこで、出家者の姓を「釈尊」の「釈(釋)」に統一し、仏教の平等思想を示そうとしたのです。〈本願寺出版社『季刊せいてん No.77』より〉
合掌