知り合いが著書を発表すると、有り難いことにご恵贈にあずかることがしばしば。
先日、神奈川県横浜市寶光寺の藤田恭爾ご住職さまが
『真宗教学の現代的解明』
~特に『顕浄土真実教行証文類』における『浄土論註』の「他利・利他の深義」と「三願的証」の引用について~
をご恵与くださいました。著書といっても論文なので、一般発売はされていません。
藤田先生は東京教区では数少ない真宗学を専門としている先生で、私も東京仏教学院の研究科でご講義を賜りました。
本論文はそのご講義の内容をまとめたものです。とても学びとなりましたが、あまりにも専門的な内容なので、詳しいご紹介は控えます。
最後に瓜生津隆雄和上の提言された「三門分別」について綴られていました。
教義門 教義門は論理展開とその分析=第三人称的客観性、分別悟性的な推論=宗学(学問の態度)
安心門 安心門は具体的宗教性として=第二人称的把握は人格的な「我と汝」的関係性で有るが、=第一人称的把握(包越的な関係性)は人格神的な相対的な関係性を超える無礙光・自然法爾のような「仏の包越的関係性」が保たれる=味わい
行儀門(凡夫の行動・生活) 行儀門は「自己規範」の中での「自主的行動」であって、「できることから始めよう」的な個人的な行動であり、各自各別、千差万別である。強制されるものではない=自己規範
この「三門分別」こそ「真宗の近代化」には欠かせない論点であり、視点であろうと考察する。一人間の中における「三分野」なればこそであるから。
「自分」の位置確認にも欠かせない視点であるし、バランスを取る場合にも必要である。
合掌