人倫の哢言

首都圏にて大雪。


お通夜がありました。さすがに車では厳しいので電車で向かうことに。


以前は私服で行って斎場で着替えるということもしましたが、荷物を減らすために行きも帰りも道中用の衣を着用しました。


帰りの電車の中で学生時代の友人にばったりと会いました。まさかまさかの遭遇。といっても、年末に会ったばかりでしたが。

「よくそんな格好で電車に乗れるな。恥ずかしくないの?」

「気にならないといえば嘘になるかも知れないけど、今更そんなことを気にしたところで何にもならないし……。
あと、自分が思っているよりも、自分のことは誰も気にしてないからね。というか、もう慣れたよ」

「それくらい一般人とのズレがないと僧侶は務まらないのかも知れないな」

どう受け取っていいのか分からない言葉を告げられました。


以前、社会で働いてからお坊さんになった先生がこんな話をされていました。

お坊さんは社会人の経験を積んで揉まれた方がいいと考える人がいます。言いたいことはよく分かります。
ですが、社会に出て揉まれれば揉まれるだけ、優先されて身につくのは社会の理屈です。
ご門徒さんと同じように社会の価値観で物事を考えるようになった結果、その人は僧侶としての役割を果たせなくなります。常識に対して常識の言葉でしか返せなくなる。
また、昨今はインターネットの普及によって同じような考え方をする人が増えました。
しかし、本当に人を動かすのはそんな世間の言葉ではありません。

あまりにも世間の価値観に迎合してしまうと、本当に大切なことが伝わらなくなってしまうのは間違いありません。


浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は次のようにおっしゃっています。

まことに仏恩(ぶっとん)の深重(じんじゅう)なるを念じて、人倫(じんりん)の哢言(ろうげん)を恥ぢず。
(心から仏さまの恩の深いことを思い、人々のあざけりも恥じようと思いません)

仏法を喜ぶ人は、世間の人たちから指をさされて笑われることもあるのかも知れません。しかし、それは大した問題ではなく、ただただ仏さまの御恩を喜ばせていただけばいい……という宗祖の姿勢を大切にしたいです。

合掌

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2018年01月22日