一枚起請文⑤

【『一枚起請文』の内容


『一枚起請文』は、その内容から6段に分けることができます。(藤堂恭俊『一枚起請文のこころ』)

①異見・異学・別解・別行の人の念仏(もろこし……)
②法然聖人の主唱される念仏の肝要(ただ極楽往生のためには……)
③念仏往生と三心・四修(ただし三心・四修と……)
④釈迦・弥陀二尊への誓いの言葉(このほかにおくふかい……)
⑤智者のふるまいへの戒め(念仏を信ぜん人は……)
⑥製作の由来(浄土宗の安心・起行……)

なかでも「コノ一段カ『一枚起請文』ノ肝要也」(香月院深励『一枚起請文講義』)といわれるのが

ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。
ただ極楽往生のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生すると思いさだめて念仏申すほかには、これといって特別なことはありません。

とある第二段です。この一文を核として全体が構成されていると見ることができます。


第一段はまず異見・異学の人の念仏を示すことで、第二段に明かす法然聖人の主題される念仏を、対比的により明確にしようとされるものです。

第三段は三心や四修ということも、第二段に明かした念仏のなかにおのずから具わるものであると説いて、やはり第二段に説く念仏以外にはないことを示されるものです。

第四段はさらに総括的に、第二段の念仏以外に秘した深義などないことを釈迦・弥陀二尊に誓われています。

そして第五段は第二段に説く法然聖人の念仏を、実際に行う場合の念仏者のあるべき態度を教えられたものです。

第六段は制作の由来を述べて結ばれます。

このように全体を俯瞰してみますと、『一枚起請文』の内容は──さらに言えば法然聖人の教えは「ただ念仏」という実にシンプルなものです。

それ以外にはないことが改めて知られると同時に、人間のさかしらな智慧に拘泥して、あれこれと念仏の教えを詮索し疑うことの傲慢さに対しては、徹底して厳しく戒められていることに気づかされます。

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2025年04月29日