私たちの人生は、実にさまざまです。人生とは苦しみや悩みに満ちており、生きるというのは大変なことです。
浄土真宗が大切にしている経典のひとつ『仏説観無量寿経』には、お釈迦さまが仏弟子・阿難尊者と韋提希夫人に対して次のように述べられる一節があります。
仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「あきらかに聴け、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。仏、まさになんぢがために苦悩を除く法を分別し解説すべし。なんぢら憶持して、広く大衆のために分別し解説すべし」と。
【現代語訳】お釈迦さまは阿難と韋提希に仰せになりました。「あなたたちは、私の言うことをよく聞いて、深く思いをめぐらしなさい。私はいま、あなたたちのために、苦悩を除く教えを説き示しましょう。あなたたちはしっかりと心に留め、多くの人びとのために説きひろめなさい」。
「苦悩を除く法」こそが仏法です。「まさになんぢがために」とあるのは、「この私のために」仏法が説かれていることを示しています。
仏教とは人生の苦を解決し、さとりをひらいたお釈迦さまが、私たちの苦悩を除こうとして説示される教法です。
仏教に限らず、私たちの苦悩を除くための教えは、現代において数知れず存在しています。
しかし、ひとつひとつの苦悩を考えてみると、困難の有様はさまざまです。ひとつの困難が解決したとしても、次の困難が起こってきては新たな苦悩が生まれてきます。なぜなら、苦悩の根源が解決されていないからです。
では、このように次々と起こる苦悩の根源とはいったいなんでしょうか。困難もなく、順風満帆に人生を送ったとしても、決して逃れられない問題……それは「老いること」「病になること」「死ぬこと」であり、それらを抱えてしか生まれることができないという生存そのものの持つ根源的な問題こそが苦悩の根源なのです。
仏教はこの「生」「老」「病」「死」を、それぞれ「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」と示します。つまり「生」に迷い、「老」に迷い、「病」に迷い、「死」に迷い、煩悩の束縛から逃れることができずに苦悩するのが人間であり、この四苦こそが人間の苦悩の根源なのです。
仏道を歩むということは、人間の逃れられない根源的な苦悩を乗り越えていく道をめざすということです。
お釈迦さまの説かれた「苦悩を除く法」とは、「生老病死」の苦悩を除く法をさします。
〈参考『親鸞聖人の教え』より〉