アングリマーラ

お釈迦さまの弟子に「鴦掘摩羅(おうくつまら)」という人がいます。これはインド名の「アングリマーラ」の音写語です。


インド語で「アングリ」は「指」、「マーラ」は「首飾り」を意味します。人を殺しては指を切り、その指で作った首飾りをかけていたことから「アングリマーラ」と呼ばれていました。

こう聞くと凶悪な人間であったように思われますが、本名は「アヒンサカ」といいます。「無害」「傷害せざる者」を意味する名前です。


「アヒンサカ」が「アングリマーラ」となるまでには次のような話が後に伝えられています。


経典によって違いますが、ある経典には彼はコーサラ国の舎衛城のバラモン(司祭者)の出身だったとあります。
バラモンの師匠の元で修行に励んでいたアヒンサカは、多くの弟子の中でも智慧才覚に優れ、体力があっただけでなく、容姿も美しかったそうです。
師匠からの信頼も篤く、将来を嘱望され、誰からも認められていた青年でありました。


ある日、師匠が王様に城へ招かれて留守にしていた時のことです。以前からアヒンサカのことを気に入っていた師匠の妻は、夫の留守をいいことにアヒンサカを誘惑しました。


しかし、アヒンサカはその誘いを断ります。プライドを傷つけられた師の妻は、夫が帰ってくるのを見計らって自分の服をズタズタに引き裂き、涙を流しながらこう訴えました。

「あなたの弟子であるアヒンサカに乱暴をされました」

妻の嘘を信じた師匠は、復讐のためにアヒンサカに剣を差し出して次のような指導を行いました。


「お前にはまだ伝えていなかった秘法がある。1週間の内に1000人(もしくは100人)の人を殺し、その死体から指を切って首飾りにしなさい。そうすればお前はすぐに梵天に生まれることができるだろう」

「師匠の命令は絶対です。しかし、さすがにそれはできません」

「では、お前とは師弟の縁を切らなくてはいけないな」


悩みに悩んだ末、彼は剣を持って町に出ると、師に言われたとおりに1週間、人を殺めて指を集め続けました。(催眠術をかけられたとする仏典もあります)


こうして彼は「アングリマーラ」と呼ばれるようになって恐れられるようになったのです。
人々はコーサラ国のパセーナディ王に「あの殺人鬼をなんとかしてくれ」と相談をします。

時を同じくして、彼の話を弟子たちから聞いたお釈迦さま。彼をこのまま放っておくと、「アヒンサカの帰りが遅い」と心配して母親が息子を迎えに行き、そこで1000人目として息子に殺されてしまうことを神通力で知りました。
「行かない方がいい」という周囲の制止を振り切って、お釈迦さまは自らアングリマーラの元へ出向くことにしました。


「いよいよだ。あとひとりで修行が完成する」

もはや正常な判断ができない状態のアングリマーラ。そこにお釈迦さまがひとりで向こうから歩いてくるのを見つけます。

「こいつを殺そう」と決めたアングリマーラは物陰で息を殺してお釈迦さまが通り過ぎるのを待ちます。
背後に回り、隙を見て後ろから剣で切りつけようと考えたのでした。


思惑通り、お釈迦さまの背後を取ることに成功。しかし、不思議なことにどんどんとお釈迦さまが遠ざかっていきます。
いくら近づこうとしても追いつくことができません。お釈迦さまは急ぐわけでもなく、普通に歩いているのに一体どうして……。


「止まれ、沙門(しゃもん|修行者)。止まれ、沙門」

しびれを切らしたアングリマーラは声をあげます。

「私は止まっています。アングリマーラよ、汝が止まるがよい」

お釈迦さまは歩いているにも関わらず「止まっている」と答えました。続けてこう告げます。


「アングリマーラよ、私は止まっています。それは、生きとし生けるものに危害を加える心を持っていないということです。
対して、汝は生けるものに対して、自らを制することがない。
ですから、私は止まっていて、あなたは止まっていないのです。
立ち止まるべきはあなたではないでしょうか。」


そこで初めてアングリマーラは自分の心をうごめき続ける悪の心の存在に気がつきました。
お釈迦さまの教説に心を打たれたアングリマーラは、剣を捨て出家して仏弟子となる道を選びます。

しかし、どうしてアングリマーラはこのお釈迦さまの言葉によって動かされたのでしょうか。
そこにはきっとお釈迦さま自身の修行時代の心の動きが関係しているように思います。


お釈迦さまがかつて苦行を重ね、瞑想をしていた時のことです。目の前に恐ろしい姿の悪魔が目の前に現れ、邪魔をしようとしてきましたが、お釈迦さまは悪魔に屈せず降伏をさせたといわれます。

この時に現れた悪魔とは、お釈迦さま自身の心であり、煩悩であったといいます。
自分の心が悪魔の姿となって現れ、修行の邪魔をして人生を惑わせていることをお釈迦さまはご自身の経験からご存知でした。
そういう心によって人が普通では考えられない行動をしてしまうということも。


お釈迦さまは自分の心にはもうひとつ、自分の意思ではどうすることもできない闇の部分があることを見抜いた上で克服をされました。そうしてさとりをひらいて仏さまとなったのです。

きっとお釈迦さまはアングリマーラの姿を見て、かつて自分にもそういう心があったからこそ、彼が何に突き動かされてそういう行動に至ったのかを全てご存知だったのでしょう。
アングリマーラにとってみれば、自分自身も知らなかった自分の心を見抜かれて言い当てられたがゆえに、お釈迦さまの言葉を聞いて仏弟子となったのです。
仏典には、次のような言葉が続きます。

仏はまことに大いなる慈悲の聖者であらせられ、
人間及び諸天の導師にてあらせられ、
その時、彼に向かいて、「比丘よ、来たれ、」と曰(のたま)いければ、
彼は、かの仏の弟子なる比丘となれり。

ここでお釈迦さまがアングリマーラに「来たれ」と仰ったのは、「二河白道(にがびゃくどう)の譬え」で阿弥陀如来が旅人に対して「なんぢ一心に正念にしてただちに来たれ、われよくなんぢを護(まも)らん[汝一心正念来我能護汝]」と告げたことと近いように感じました。


しばらくして、アングリマーラがジェーダ林の精舎(お寺)にいるという噂が流れ、舎衛城の人たちが騒ぎ始めました。
国民の不安を解消しようとパセーナディ王は武装してた500の兵を引き連れて討伐に臨みます。

「王様、今日はどうされましたか。臨国を討ちにでも出掛けられるのですか」

「いやいや、お釈迦さま、私の国の領内にアングリマーラという兇賊がいると聞いてやってきたのです。そいつを捕まえるためにやってきたのです」

「王様、彼がもしも髪を剃って袈裟衣を身につけ、殺生から離れて善業にいそしむ比丘(出家僧)となっていたらどうしますか」

「そんなことがあったら、私はその兇賊に礼拝して供養しなければいけません。まぁ、そんなことはありえないでしょうが」

「そうですか、王様。そこに座っているのがアングリマーラですよ」

周りに座っていた比丘のひとりを指さしてお釈迦さまは言いました。すると王様の顔はみるみる真っ青に。

「王様、恐れなくとも大丈夫です」

お釈迦さまの言葉を聞くと王様は安心して、アングリマーラと会話を交わし、改めてお釈迦さまの教化の力を讃め嘆えました。


王様は軍隊を出動させ、世間の法律で彼を裁こうとしました。


しかし、お釈迦さまはアングリマーラの行動を裁くことはしませんでした。すべてを見抜いた上で、「比丘よ、来たれ」と、「そのまま来いよ」と彼のありのままを受け容れたのです。


とはいえ、世間の人たちは納得しません。アングリマーラが他の比丘たちと同じように托鉢(たくはつ)をしていると、「人殺し!」「父親の仇だ!」と、町中の人たちから石や棒きれを投げつけられました。さらに鉢を割られ、衣を引き裂かれ、傷つき、血を流しながら帰る日々が続きます。


「聖者は堪え忍ばなければなりません。アングリマーラよ、堪え忍びなさい。汝は、かつて犯した悪業の罪の報いを受けているのだ」

お釈迦さまに諭され、来る日も来る日も傷だらけになりながら托鉢に出向きました。
すると、次第に石を投げる人はいなくなり、最終的にアングリマーラの戒律を守る清らかな姿勢に胸を打たれ、やがて町中の人たちが手を合わせる聖者となったといいます。


どうしてアングリマーラは堪え忍び続けることができたのでしょうか。
それは自分のすべてを知り抜き、そのうえで受け容れ、ただただジッと見守り続けてくれたお釈迦さまの存在があったからです。


仏教では私たちが生きている世界を「堪忍土(かんにんど)」と表現します。この世界は苦しみに満ち溢れていて、堪え忍んでいかなければいけないということです。
自分ではどうすることもできない心を持っているがゆえに、知らず知らずに罪を重ね、人を傷つけ自分も傷つきながら、苦悩を抱えて人は苦しみの世界を独り生きています。


しかし、仏教ではこの世界が「苦しみの世界である」と教えると同時に、「仏さまの慈悲が満ち満ちている世界である」と教えます。
「あなたの苦しみを知っていますよ」と至り届く仏さまと出遇っていくところに救いがあります。

アングリマーラと妊婦

もうひとつ、『鴦掘摩(おうくつま)経』には次のような話も出てきます。

アングリマーラが舎衛城で乞食(こつじき)をしていると、妊婦さんがいました。

「実は予定日を過ぎているのにまだ産まれてこないんです。お坊さん、どうかお救いください」

お釈迦さまの元に戻ったアングリマーラは訊ねます。

「さっき、臨月の妊婦さんから助けを求められたのですが、私はどうすればよかったのでしょうか」

「そうですか。じゃあ今からその人のところに戻って『私は今まで殺生をしたことがありません。この言葉を信じて受け止めてくれたら、元気な子どもが産まれてきますよ』と言いなさい」

「お釈迦さま、私は過去に数え切れないほどの罪を重ねてきました。1000人まであと1人というところまで人を殺したのです。そんなことを言ったら今度は嘘の罪を作ってしまいます」

「私に言われたとおりに言葉を発したとしても、それは嘘とはならない」

アングリマーラはお釈迦さまに言われたとおりに妊婦のところに戻ってこう述べました。

「私は今まで殺生をしたことがありません。この言葉を信じて受け止めてくれたら、元気な子どもが産まれてきますよ」

すると、妊婦さんは無事に分娩し、元気な子どもが生まれてきました。

※アングリマーラのまつわる説話は多岐に渡るため、本によって話の内容に相違があります。

 

参考文献
『季刊せいてん no.113』本願寺出版社
増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』
稲荷日宣「経典の加増形態より見たる央堀摩羅経」『印度學佛教學研究』
『りゅうこくブックス 126』

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2018年01月28日