「スタンフォード監獄実験」と実験責任者のジンバルドー教授の考察に触れました。
善良な人間やごく普通の人間が悪に手を染めることを『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』という著書のタイトルで表現しています。
ルシファーは天使から堕落して魔王と化した悪魔の名前です。
これに対して浄土真宗ではどう考えるのでしょうか。
私は「仏さまが救わなければならないとご覧になった私の姿は根本から悪人(悪魔)である」と受け止めるのが妥当のように思います。
浄土真宗3代目宗主である覚如(かくにょ)上人が著された法然(ほうねん)聖人の伝記『拾遺古徳伝(しゅういことくでん)』巻4には、次のような話を紹介されています。
法然聖人と盗賊・耳四郎
摂津の幣島(みてくらしま|現在の大阪市西淀川区御幣島町)に耳四郎(みみしろう)という凶悪な盗賊が住んでいました。河内の天野の生まれで、本名は天野四郎。耳が人並み外れて大きいことから耳四郎と呼ばれていました。
あるとき、盗みを働こうと京都へ向かいます。姉小路白河の二階房という御堂の縁の下にひそんで夜がふけるのを待っていました。
二階房は白川房ともいい、法然聖人の高弟であった信空上人の宿坊であったといいます。そのため、師匠の法然聖人がしばしばここで説法をされていました。
耳四郎が潜んだその晩は、たまたま法然聖人による夜通しの法座が開かれていました。耳四郎は這い出す機会を失い、縁の下でジッと息を殺します。
「私たちにような煩悩に支配される愚かな凡夫が、迷いを抜け出して安らかなさとりの世界へ生まれる方法……それは阿弥陀如来が選び定めた本願念仏の一道を歩ませていただく他はありません。
阿弥陀如来が救いの目当てとされているのは、十悪・五逆といった重罪を犯した極悪人です。仏法を謗り、戒律を破り、邪見をおこし、善というものをまったくもたないような非道の者。こうした極悪の者に対して与えられている往生の行は、西も東も分からない幼児であっても称えることのできる易行の念仏であり、念仏往生を誓われた本願はどんな愚かな人間にも信じられる尊い願いです。
そもそも、すべての世界の生きとし生けるものを分け隔てなく救うと仰るのが阿弥陀如来です。その救いのみ手から漏れるものはなく、智者も愚者も、罪の有る無しを問わず、凡夫も聖者も、持戒の人も破戒・無戒の人も、老いも若きも、男も女も、善人も悪人も、たとえ仏法が完全に滅亡した時代に生まれた人であっても、すべてのいのちがお救いにあずることができます。
本願を信じて念仏する者は、阿弥陀如来の大悲の光明に摂め取られて、決して捨てられることはありません。だからこそ、罪が深く、障りが多いものこそ本願を仰ぐべきです。阿弥陀如来の本願は、放っておいても心配のない聖者のためにおこされたものではなく、危なくて見ていられない罪悪の凡夫を救うことを第一としておこされたと善導大師も仰っています」
分かりやすく本願念仏のこころを述べられた法然聖人。はじめて仏法を聞く耳四郎も知らず知らずに聞き惚れてしまい、盗みにゆくことも忘れてしまいました。
「このご説法は、まるで私のためになされているようだ。盗みに入ってこんな尊い話を聞かせていただけるとは思いもよらなかった。
ここに忍び隠れていたのも『後生を助かれ』という如来さまの思し召しだったのかも知れない。いっそここを出て、今まで盗みをはたらきつづけた罪を告白し、もっともっとこの教えをお聞かせにあずかりたいものだ。
しかし、こんな盗賊の身で聖人の御前に出るのは恐れ多い。それに今までの悪事がバレたら、どんな報復を受けるか分からない。うかつに出ることは出来ないな……」
そんなことを考えていると、とうとう夜が明けてしまいました。
耳四郎は覚悟を決めて縁の下から出ると、庭にひれ伏します。怪しげな人の気配に、数人の弟子が出てきて耳四郎を取り囲みました。
耳四郎が自分の身分をすべてを明かすと、中で黙って聞いていた法然聖人が庭に下りてこられます。耳四郎がすべての罪を告白すると、法然聖人は彼の心に結ばれた宿世の仏縁のありがたさに感動。
「極重の罪障を抱えたものこそ、如来の深いお心がかりになっているものであります。かかる身をこそ念仏者にならしめ、浄土に迎えようとはたらいているのが阿弥陀如来さまです」
改めて説かれた聖人の説法は、乾いた大地に雨水がしみこむように耳四郎の心に響きました。阿弥陀如来の大悲の深さに驚いた彼は、その日から念仏者となります。
しかし、長く続けて身についた盗み癖はなかなか治りませんでした。他に仕事もしていなかったので、妻子を養うために盗賊稼業から足を洗えず、盗みをしては後悔し、後悔しながらも盗みをはたらくという日々が続きます。
その内に盗賊仲間のひとりが耳四郎の殺害を企てます。盗みの腕が一流であった耳四郎の勢力が日に日に強くなるのを妬んだためです。
耳四郎の親友を自分の味方に引き入れ、隙をうかがっていました。真っ向勝負では勝ち目がなかったので、ある晩に親友を利用して耳四郎を酔いつぶそうと酒を勧めます。
自分の殺害が計画されているとは夢にも思わない耳四郎。すっかり泥酔して眠ってしまいました。
耳四郎が完全に眠ったのを見て、刀を抜いて部屋へ忍び込んだ親友。布団をひきはがして一気に刺し殺そうとしたその瞬間──
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
寝言で念仏を称える耳四郎の寝顔は、まるで仏像かと見間違えるほど和やかに輝いていました。
その姿を見た親友は殺意が消え失せ、刀を納めて耳四郎を起こします。
「悪友にそそのかされて長年の友情を裏切り、お前を殺そうとした。だが、お前の寝顔はまるで仏像のように尊く、寝言で念仏を称えていたではないか。その姿に俺は感動して殺意はすっかり消えてしまった。
お前が念仏者であったことを俺は今の今まで知らなかった。もし叶うならば、俺も念仏の仲間に入れてはくれないか」
懺悔しながら自らの「もとどり(髪をたばねたところ)」を切って親友は耳四郎に心から詫びました。
「よく殺すのを思い止まってくれた。こちらこそ礼を言わなければならないな。俺も今夜限りでキッパリと盗賊の足を洗おう。そうでなければ、胸を痛めてくださっている如来さまと法然聖人さまに申し訳がたたない。
たとえ飢え死にすることがあったとしても、二度と人の物を盗んだり、人を傷つけたりはしません」
そう誓った耳四郎は、親友と同じように「もとどり」を切ると、夜明けとともに法然聖人がいる東山大谷にあった吉水の草庵をめざしました。
聖人にお願いをして正式に受戒。「教阿(きょうあ)」という法名をいただくと、小さな庵を結んで親友とともに念仏の生涯を送ったのでした。〈参考『聖典セミナー 歎異抄』〉
覚如上人は、この耳四郎の故事を記したあとに次のように述べられています。
この耳四郎は至極の罪人、悪機の手本といひつべし。今時の道俗、たれのともがらか、これにかわるところあらんや。[中略]つくるに強弱ありといへども、三業みなこれ造罪なり。をかすに浅深ありといへども、一切ことごとくそれ妄悪なり。[中略]つくるもつくらざるもみな罪体なり。おもふもおもはざるも、ことごとく妄念なり。〈『真宗聖教全書』3・712〉
耳四郎のような罪人と私たちは変わることはなく、私たちの心も言葉も振る舞いも全てが罪を造り続けるとお示しです。
梯實圓(かけはしじつえん)和上は次のように解説されています。
例えば「マムシ」は、人を咬んだ時だけが毒蛇で、咬まなければ毒蛇ではないと言えないように、悪縁にあえば、どんな恐ろしいことをするか知れない悪の本性を持っているものを「煩悩具足の凡夫」というのです。
「マムシ」は一度も人を咬まずに終わることがあるかも知れませんが、人間は毎日さまざまに人を傷つけ、自分を傷つけながら生きているのです。
たとえ今まで殺人や強盗をはたらかなかったとしても、それはたた幸いにして悪縁にあわなかっただけでのことです。私の本性が立派だったからではありません。
そしてこれからも、どんな縁にあって、どんな振る舞いをするか、まったく保障のできないのが凡夫というものの不気味さなのです。
「つくるもつくらざるもみな罪体なり。おもふもおもはざるも、ことごとく妄念なり」という言葉に、身震いするような恐ろしさを感じます。
耳四郎の回心を聞いて、同じ煩悩を抱えている罪悪深重の私が、大悲本願の正しきお目当てであり、「たえず如来のみ心を痛みたてまつっている身であること信知するものは、かかる身を救うて二度と罪業を犯すことのない仏たらしめよう」と誓われた大悲の本願を仰いで、日々の生活を厳しく自誡していかねば、仏祖に申し訳がないと思います。
合掌