『阿弥陀経』を読む19

★正宗分ー依正段「七宝蓮池」①

また舎利弗、極楽国土には七宝(しっぽう)の池あり。八功徳水(はっくどくすい)そのなかに充満(じゅうまん)せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地(じ)に布(し)けり。四辺の階道(かいどう)は、金(こん)・銀(ごん)・瑠(るり)・玻璃(はり)合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(ろうかく)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙(みみょう)香潔(こうけつ)なり。
また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられています。池の底には一面に黄金の砂が敷き詰められ、また四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があります。岸の上には楼閣(背の高い重層の建物)があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲(白珊瑚)・赤真珠・碼碯で美しく飾られています。また池の中には車輪のように大きな蓮の花が咲いていて、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかです。

先生|引き続き、極楽の荘厳(しょうごん)について読んでいこう。


阿弥|最初は【七宝(しっぽう)の池】……極楽って池があるんですね


先生|10円玉の裏に描かれている京都府宇治市の平等院というお寺にある池は、この極楽の荘厳を模しているんだ。

阿弥|じゃあそこへ行けば、なんとなく極楽がイメージできるわけですか。


先生|うーん、ちょっと違うかな。当時のインドの人たちが考えた池は、沐浴(もくよく)をするために四方を階段で囲んだ池だからね。
   池の岸辺(階段の上)には楼閣(ろうかく|背の高い重層の建物、高殿)がぐりると並び建っていると想像してごらん。


阿弥|どうして「川」や「海」じゃなくて「池」なんですか?

先生|中国の善導大師(ぜんどうだいし)という高僧は「(たとえばこの世界においても)樹木があっても池や泉水がないと良い風景とはいえません。そこで、極楽の荘厳も樹木の次は池について説かれています」とおっしゃっているよ。

阿弥|良い景色を整える意味で「池」なんですね。
   でも「ただの池」じゃなくて「七宝の池」とありますけど。

先生|「七宝焼き」って聞いたことある?


阿弥|知ってますよ。綺麗な焼き物ですよね~。

先生|「七宝を散りばめたような美しい焼き物」が由来と言われているよ。※諸説あり


阿弥|そもそも「七宝」ってなんですか?


先生|「四宝」に【硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)を加えたものを「七宝」というんだ。※経典によって珊瑚や琥珀、真珠が加わる

阿弥|豪華絢爛な池ですね! けど池に宝石が詰め込まれていたら、沐浴ができませんよ。

先生|善導大師は

一々の池岸七宝をもつて合成せることを明かす。まさしく宝光映徹し通照するによりて、八徳の水雑宝の色に一同なり。
池の岸は七宝から成り立っていることを明らかにします。その七宝の色が水に反映して、池の水まで七宝からできているように見えるのです。

とおっしゃっているよ。

阿弥|私が疑問に思うようなことは、先回りされているんですね……恐るべし善導大師。

先生|さらにその池の底には黄金が敷き詰められていて──


阿弥|へぇ、ゴージャスな池ですね!

先生|その池の四方の階段は四宝でできていて──


阿弥|す、凄い池ですね!

先生|のぼったところにある楼閣は、七宝で美しく飾られているんだ!


阿弥|……。

先生|極楽は四宝や七宝の金銀財宝でまばゆいばかりに荘厳されているんだね。


阿弥|なんのために、そこまで派手にしたんですか?

先生|依報段に説かれる浄土の荘厳について、善導大師は

他方(たほう)の凡聖(ぼんしょう)の類(たぐい)を引かんがために、ことさらに仏(ぶつ)この不思議を現(げん)じたまふ。
娑婆世界を生きる凡夫と聖者を導くために、はかりしることのできない極楽の功徳を仏さまは詳しく表現してくださいました。

とおっしゃっているよ。

阿弥|また善導大師!

先生|他にも日本の法然聖人(ほうねんしょうにん)

まづ極楽の依正の功徳をとく、これ衆生(しゅじょう)の願楽(がんぎょう)の心をすゝめんがためなり。
(『阿弥陀経』の)最初に極楽の環境や仏・菩薩について説かれているのは、生きとし生けるものに「極楽に生まれたい」という心を勧めるためである。

とおっしゃったと伝えられていているね。


阿弥|私たちに「極楽へ生まれたい」と思わせるために、金銀財宝だらけの世界にしたんですか?

先生|黄金や宝石は、人間の世界でもっとも分かりやすく価値があるものじゃないかな?

阿弥|それらを奪い合って争いが生まれるくらい、みんなが欲しがるものですもんね。

先生|まず大切なのは、仏さまが私たちを慮って
   「こう言ったら、浄土に往きたいと思ってくれるだろうか」
   「ああ言えば、浄土を願い求めてくれるんじゃないか」
と極楽について明らかにしてくださったことだよ。

阿弥|だからといって、あまりにもキラキラしてたら、かえって引いてしまう気がするんですが……。

先生|でも「色も形もなく、言葉で表わすこともできない無自性(むじしょう)(くう)の世界が極楽」「私たちの相対的概念を超えた、絶対的な涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)なる世界が極楽」って言われてどう思う?


阿弥|「あぁ、そうですか」と思います。

先生|だから阿弥陀如来は「どんな浄土だったら、みんなが来たいと思うか」と考え、お釈迦さまは「どんな風に浄土を説いたら、みんなが往きたいと思うか」と考えて、美しい浄土の荘厳を示してくださったんだ。

阿弥|仏さまは私たちのために「行ってみたい」と思えるようなキラキラとした世界を説いてくださったんですか。

先生|その慈しみに溢れた切なる仏意(ぶつい)を見失って「自分には関係のない世界」と聞いてしまうと、極楽は「おとぎ話」「絵物語」になってしまうんだね。

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2019年01月06日