『阿弥陀経』を読む12

★無問自説の経


先生|前回までで、経典が信じるに足ることを証明した証信序(しょうしんじょ)を読み終えることができたね。


阿弥|お経の序分は証信序に続いて、お経が説かれるきっかけが述べられた発起序(ほっきじょ)があるんですよね?

先生|例えば『無量寿経(むりょうじゅきょう)は、お釈迦さまの姿がいつもと違うことに気付いた阿難尊者の問いかけに対しての答えから説法が始まったし、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)韋提希(いだいけ)の問いによって説法が始まったんだ。
   こうした個別の経緯が示されているのが発起序で、基本的にどの経典にも設けられているんだよ。

阿弥|『阿弥陀経』はどんなきっかけで始まったんですか?

先生|実は……『阿弥陀経』には発起序に相当する部分がないんだよ。


阿弥|何のきっかけもなく、いきなり始まったんですか?

先生|誰かから問いかけられたり請われたりと、普通の経典は特別な動機や因縁があるはずなんだけど、『阿弥陀経』は突然お釈迦さまが舎利弗に対して説法を始めたんだ。

阿弥|聞かれてもないのに話し始めるなんて、よっぽど言いたいことだったんですね。

先生|うん、まさにその通りなんだよ。
   「問いを待ってられない」
   「これだけは説いておかねばならない」
   この説法の背景には、そうしたお釈迦さまの強い思いがあったんだろうね。


阿弥|どうしてそこまでしてお釈迦さまは『阿弥陀経』の内容を話したかったんでしょうか?

先生|「この教えだけはどうしてもみんなに聞いておいて欲しい」と遺言のような思いがあったからじゃないかな。
   『阿弥陀経』はお釈迦さまご一代の結論となる経典だから「一代結経(いちだいけっきょう)とも呼ばれているんだ。

阿弥|そうすると『阿弥陀経』は、いろいろとあるお経のなかでも特別なものなんですね。

先生|実際に浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖である鎌倉時代の親鸞聖人(しんらんしょうにん)も、非常に大切にしていたお経のひとつだからね。


阿弥|そういえばお祖母ちゃんの法事をしたお寺も浄土真宗と言っていました。

先生|親鸞聖人は『阿弥陀経』について

この『経』は無問自説経(むもんじせつきょう)と申す。この『経』を説きたまひしに、如来に問ひたてまつる人もなし。これすなはち釈尊出世の本懐(ほんがい)をあらはさんとおぼしめすゆゑに、無問自説と申すなり。
この『阿弥陀経』は無問自説の経といいます。お釈迦さまがこのお経をお説きになるにあたって、お釈迦さまに問いかけた人はいません。お釈迦さまが自らお説きになったのです。これは、お釈迦さまがこの世に出てこられた本当の意味を明らかにしようとお思いになったからであり、そのようなわけで無問自説というのです。

とお示しくださっているよ。

阿弥|「誰にも聞かれていないのに説く」ということに、そんなに重要な意味があるとは思いませんでした。

先生|自分から語り出すことを「随自意(ずいじい|自らの本意に随う)と言って、「お釈迦さまの本心として説いた『阿弥陀経』が真実のお経である」という根拠となるんだよ。

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2018年11月18日