『阿弥陀経』を読む20

★正宗分ー依正段「七宝蓮池」②

また舎利弗、極楽国土には七宝(しっぽう)の池あり。八功徳水(はっくどくすい)そのなかに充満(じゅうまん)せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地(じ)に布(し)けり。四辺の階道(かいどう)は、金(こん)・銀(ごん)・瑠(るり)・玻璃(はり)合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(ろうかく)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙(みみょう)香潔(こうけつ)なり。
また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられています。池の底には一面に黄金の砂が敷き詰められ、また四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があります。岸の上には楼閣(背の高い重層の建物)があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲(白珊瑚)・赤真珠・碼碯で美しく飾られています。また池の中には車輪のように大きな蓮の花が咲いていて、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかです。

先生|今まで見てきたように浄土の荘厳には

○イメージしやすくなって、心を寄せやすくなる
○さとりの性質を表わして、凡夫のすがたを映し出す
○浄土へ往生したいと思わせる

といった様々な側面があるんだ。


阿弥|仏さまには悪いんですが、「黄金や宝石がたくさんあるから極楽へ行きたい」と私は簡単に思いません。

先生|『阿弥陀経』が登場した時代のインドは良質な金(きん)が多く流通していた時代だから、すぐに同じような受け止めをするのは難しいかもね。

阿弥|今の私たちよりも金が身近にあってイメージをしやすかったんですかね。

先生|他にも当時のインドの人は、宝石を非常に重んじていたそうだよ。

阿弥|宝石に対する価値観も違ったんですか。
   だから「行きたいと思う理想の世界」にズレがあるのかなぁ。

先生|じゃあ「なんのために黄金や宝石が説かれてあるのか」を別の角度から考えてみようか。


阿弥|なんのためですか?

先生|キラキラと煌びやかな世界であることは、煩悩に穢れていない清らかさ──つまり煩悩の火が消えた「さとりの境地」を表わしているんだよ。

阿弥|なるほど……「極楽」の象徴的な表現として、ここでは金銀財宝があるわけですか。

先生|他にも大量の金銀や宝石によって、極楽が「求めることがなくなる満たされた世界である」と教えてくれたんだね。


阿弥|「求めることがなくなる満たされた世界」?

先生|極楽では、私たちが求めているお金や財産の価値ってどうなるかな?

阿弥|周りが黄金や宝石だらけなら、お金も財産も値打ちがなくなります。

先生|私たちの世界であれば、「お金を増やしたい」「宝石が欲しい」と欲しいものを求める欲望は尽きないでしょ?
   しかし、極楽ではそういった欲望は消えてしまうんだよ。


阿弥|確かに私たちの世界では黄金が貴重だからみんな欲しがりますけど、砂のように敷き詰められているんだったら誰も欲しがりませんね。

先生|例えば「空気」「酸素」だって、本来は無くなったら生きていけなくなるほどに貴重なものだね。

阿弥|でも「無くなる」「限りがある」なんて言われたら、奪い合いが始まって戦争になってもおかしくないですね。

先生|だからといって、普段の日常生活で「空気が必要だ」「酸素が欲しい」と思ったことある?


阿弥|水の中や高い山の上といった特殊な環境であれば違いますけど、日常生活ではまずそんなことは思いません。

先生|それは地球が空気で満たされているからだよ。

阿弥|当たり前のように満たされていれば「欲しい」と求める心は起こらないし、つまらない争いも避けられますね。

先生|一見すると享楽的な表現だけど、まばゆいばかりの四宝、七宝で溢れた極楽は「求めることがなくなる満たされた世界である」と示しているんだ。


阿弥|そうすると私たちの世界は「求めることがなくならず、決して満たされることがない世界である」ということですか……。

先生|人間の欲望に底はないから、人間が満たされることは永遠にないんだよ。

阿弥|言われてみれば欲しいものが手に入っても、すぐまた別のものが欲しくなります。

先生|「得られない」という現実が物質で満たされても、精神が本当に満たされることはないから、人は死ぬまで求め続けてしまうんだね。


阿弥|対して極楽は満たされた世界であるから、欲望のままに何かを求めることもなくなるんですね。

先生|まばゆいばかりの金銀財宝で極楽が荘厳されているのは、決して人間の欲望をかき立てるためではなかったんだ。

阿弥|むしろ欲望なんか起こらないほど満たされている世界であることを黄金や宝石で表わしていたんですね。

先生|「欲望を我慢しろ」「煩悩を捨てろ」ではなく、そうした心から解放されていく満たされた世界が極楽であり、さとりの境地なんだよ。

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2019年01月13日